昨年の12月25日の朝日新聞夕刊に出た藤原帰一さんの「時事小言 憲法改正・歴史観、見直せば孤立」を要約すると・・・。
安倍晋三首相の下での自民党政権はこれまでになく日本の政治を右傾化させるという観測が、中国、韓国ばかりか欧米諸国のメディアでも流れている。しかし、問題となるのは何が右傾化かということである。
社民党や共産党の立場から見れば、集団的自衛権や憲法改正は、それだけで右傾化と見なされる。
憲法9条を根拠とする平和主義は、国際紛争に対する日本の関与を排除する、事実上の孤立主義としての役割を果たしてきた。
憲法改正の阻止は、日本の国内政治の文脈でいえば、選挙によって政権を獲得する可能性の乏しい野党勢力が、政権は獲得できなくても憲法改正に必要となる3分の2の議席は自民党に与えないという目標を追い求めてきた帰結であった。
もし憲法改正が日米安保条約は維持したままで9条2項を削除するにとどまるなら、それによって日本の対外政策が大きく変わることにはならない。そもそも、憲法改正などしなくても、安保条約に基づいた米国との軍事協力も、国連平和維持活動に自衛隊が加わることも可能である。
だがかつての安倍政権のとき、「戦後レジームからの脱却」が言われたことから考えると、単に憲法改正が戦力不保持の否定に留まるものではないことは確実に思える。そこには連合国占領下で作られた日本の国家体制の見直しを行い、日中戦争と第二次世界大戦を日本の侵略として捉える見方が自虐史観として克服すべきものとして認識されている。
「戦後レジームからの脱却」が自虐史観からの脱却によって日本国民の伝統と誇りを復活させることを含むとすれば、このような歴史の見直しはとても賛成できない。
日本国憲法は、侵略戦争を行った日本が軍国主義とは異なる政治体制を作り上げるという、一種の国際公約としての意味があった。日本国民は、現行日本国憲法を60年以上にわたって支えてきた。第二次政界対戦を引き起こした日本とは異なる政治社会を作るという目標を、国民は受け入れてきた。
「戦後レジームからの脱却」が、従軍慰安婦に関する河野談話を撤回し、南京大虐殺はなかったと主張するなかで憲法改正を行うのであるとすれば、これは右傾化と評されても仕方がない。
日本軍国主義の事実上の名誉回復に道を開く形での憲法改正は、第二次世界大戦後の世界の基本合意に背を向ける行動に他ならない。
左翼が唱えてきた国内消費用の平和主義から一転して、今度は右翼の歴史観と自己愛のなかに日本が引きこもろうとすることだけは避けなければならない。

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