一時は次の首相も、などと言われた橋下徹大阪市長だが、彼の率いる維新の会という政党とともに、この一年ですっかり色が褪せた感じがする。
しかしながら、大阪でもあるいは衆議院でも、まだそれなりの議席を確保しているから、影響力はそれなりに温存していることになる。まあ、選挙によって代表を選ぶ政治の仕組みからすれば、1年前の選挙時にそれなりの成果を上げたのだから、いくら彼のことを嫌っても、彼の影響力は次の選挙までは確実に温存されるのは仕方がない。
そう考えてみると、「橋下徹現象と部落差別」(宮崎学・小林健治 モナド新書)に書かれているように、橋下さんが大阪市長選に立候補する直前の、週刊朝日をはじめとする、彼の出自をほのめかしつつ張られたキャンペーンは、差別問題を助長する点でも問題があったことはもちろんだが、結果的にマスコミに差別問題で叩かれながら敢然とそれを跳ね除ける橋下さんの態度が、選挙の勝利に結びついたという皮肉な結果を招いた。
結果として、誰よりも橋下を嫌っていたはずの佐野眞一氏をはじめとする人々にとって、最悪の結果を招いたことになったという意味で、これは雑誌メディアの敗北となった。
橋下さんは、実は誰よりも部落解放同盟などが進めてきた「糾弾」という政治手法に学んで今日の地位に上り詰めたのではないかとすら思われることの皮肉もまた、この本を読むと明らかにされる。
宮崎学さんも、小林健治さんも、実は橋下徹という政治家の政策も政治手法も嫌いなのだが、皮肉なことに、いわれなき差別(つまり出自など、自分の責任では選択できない原因で受ける差別)と果敢に戦ったのが橋下徹だったという事実を認めざるを得なかったということを告白する結果になっている。
橋下氏の政治手法に批判的で、何が何でも橋下を叩きたいという気持ちが先走って、ついついほとばしり出てしまった差別意識。そのために、橋下氏への攻撃のつもりが結果的に最大の「応援」になってしまったという失敗の記録がここにある。だが橋下氏にとって、大阪府知事を辞職して大阪市長選に出馬したところが絶頂期だったことが、今になって明らかになる。
その点でも、佐野氏や週刊朝日、週刊文春、週刊新潮などの罪は重いということなのかな。

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