トマス・クーンの「科学革命の構造」の、パラダイムという言葉をアタシに教えてくれたのは、確か歴史学者の色川大吉先生の講演だったと思います。あれは確か、東京大学で宇井純先生が主催していた公害原論の姉妹講座みたいな大学論で、色川さんがお話ししていた中で出てきた。あれはたぶん、1970年代後半。
しかしアタシはなぜ、あのころわざわざ宇井純さんの自主講座を聴くために、しばしば東大の「夜学」に通ったのでしょうか。たぶん、自分の「本籍」がある神奈川県にある私大にはホントの学びの喜びはない、ここにこそ、ガクモンの喜びがあるなどと秘かに思っていたのかもしれない。
ところで、色川先生はなぜパラダイムの転換なんていう話をしたんだろうか。ひとつだけ覚えているのは、大塚久雄とか丸山真男のようないわゆる今で言う、リベラル派のモダニズムへの批判であったと思う。アタシは、丸山は知っていたし読んでもいたが、大塚久雄は初めて聞いた。で、その後、確か「社会科学における人間」とかいう黄色表紙の岩波新書を読んだ。
色川さんは、新しい社会科学は、大塚、丸山の進歩的モダニズムではなく、住民運動と新しい「共同体」のなかにあると考えていたようだ。うん、やはり水俣、三里塚の思想だな。それが社会科学におけるパラダイム転換だ、ということだったのか。
しかしながら、アタシは色川先生ほどには新しい共同体主義に入れ込めない自分を感じていたようだ。色川先生や鶴見和子さんが組織した水俣の学術調査団に加わっていた政治学者の内山秀夫先生が、どういうわけか私のいた大学に、政治心理学の集中講義に来られたのだが、彼もまた、色川さんの「新共同体」主義に疑問を呈していた。まだ自分は、別のモダニズムがあるのではという気持ちがある、ということだったのか?

0