産経新聞はかつてレフチェンコ事件のとき、編集局長がKGBのスパイとして活動していた。
レフチェンコ事件とは、旧ソ連の諜報機関・KGBのエージェントだったスタニスラフ・レフチェンコが1975年から79年の間、日本で対日スパイ活動をして、1979年にアメリカに政治亡命したが、米下院情報特別委員会や複数のメディア、単行本などでKGBの実態と日本でのスパイ活動の詳細を暴露したというもの。
その中で、日本の社会党に資金を提供したことや産経新聞の編集局長の山根卓二を買収してスパイとして活動していたという証言を行った。
彼は七〇年代にソ連の共産党やKGBから社会党に、さまざまな形で資金を流す工作を行い、資金の受け渡しにも、直接、かかわっていたという。
七五年から七六年にかけて、社会党東京都本部の幹部を協力者として取り込むために接近し、二回にわたり、同幹部の発行するニュースレターの経費と選挙資金のためという名目で合計約三百万円を手渡したという。
そして同時に、サンケイ新聞社の編集局長に反中国の記事を書かせた。
産経新聞は自社の記者のスパイ活動につては沈黙したまま、1993年3月19日、産経新聞一面に旧ソ連の諜報機関・KGBのエージェントだったスタニスラフ・レフチェンコは1975年から79年の間、日本に在住して対日スパイとして活動していたという記事を載せた。そこには、社会党への資金提供の話のみが出ていた。
雑誌・文藝春秋の93年6月号には、「私が操った社会党と新聞」というレフチェンコのロングインタビューが掲載されたが、ここでレフチェンコは社会党との関係だけでなく、産経新聞・山根編集局長への具体的な工作を暴露した。
産経新聞はこのことは明らかになったにもかかわらず、編集局長を処分もせずにうやむやにして、いまだに一切の謝罪もしていない。社長の辞任もなかかった。

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