そういえば大阪の帝塚山大学の先生をしていた元朝日新聞記者だった人がやはり吉田清治氏の記事を書いていたとのことで大学に脅迫状が送られたことから、「一身上の都合」という名目で九月になって退職したという事件があった。
この元朝日新聞記者の人にアタシは1990年ごろ、会っている。というのは、この人がマニラ支局に転勤になるとかで、フィリピンとの市民連帯運動をしている団体を事前に取材していたとき、東京の日野市で開かれた市民団体が集まる会議にこの人も取材に来ていたのを記憶している。
しかし彼はもともとは韓国駐在が長かったようである。その後、アタシは知らなかったが、この人は九州の朝日新聞のほうで経営幹部のような地位に「出世」して、その後大阪の大学に定年後の仕事として着任したようだ。
最初に会ったとき、「へえ、こんな市民団体のことも取材する記者がいるんだ」と比較的好印象だった。
マニラ支局に赴任したのちも、最初はアタシが所属していた団体の主たる活動場所で会ったネグロス島にも足をのばし、好意的な記事を書いていた。
だが、たしか91年頃だったか、日本の右派系の宗教団体がバックにあるNGOのワーカーをフィリピン共産党系のゲリラ組織である新人民軍(NPA)が誘拐する事件が起きた。
このとき彼が書いた記事は、はっきりいっていただけなかった。明らかにNPA=悪、誘拐されたワーカーの属していた団体=善もしくは犠牲者の構図で裁断していた。はっきりいって、事情はもっと複雑であった。
この団体が行っていた養蚕プロジェクトは、地元の有力地主や州政府がゲリラと貧農を引き離すために組み立てられたものだったからだ。
この記者氏はその裏事情が分っていたはずである。だが、書かれた記事はまったく「善意の日本人ボランティアを誘拐した悪い共産ゲリラ」の構図だった。彼は、複雑な裏の事情は捨象して、わざとそういう図式に話を落とし込もうとしていたように思えた。
実際、誘拐された当のNGOワーカーの人は、事件後に帰国して彼の属していた団体も退職し、別の組織で仕事をするようになったのだが、そのころになって「自分はフィリピンの民衆に溶け込んで仕事をしていたつもりだったが、本当に現地の事情が分ってはいなかった」と数年後に別の新聞(毎日新聞)のインタビューで答えていた。
別にこんなわずかな見聞から人物を評価したり断罪しようなどとは思わない。
ただ、アタシの中では、確かに彼は取材し記事をまとめる能力は優れていたかもしれないが、どうもはじめに作られた図式に合致した事実のみでまとまりの良い記事を仕立てる傾向があったのかなあ、と判断せざるを得ないのである。
吉田清治氏のような人物のついたウソが、彼の頭の中の「物語」にピタリと当てはまったときに、彼の優秀な能力が誤報を生み出したのかも。
ウソつきにダマされないというのもジャーナリストの資質だとすれば、彼は記事をまとめる能力に溺れて、結局人を見抜く目がなかったということなんでありましょうかね。

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