鵺のようなヤツと言う言葉をアタシは、状況や相手によって主張を変える人間という風に解釈していました。正しくは、この本の冒頭に書かれているように、平安末期、夜な夜な京都の町を騒がせたというサルの顔、タヌキの胴体、トラの手足、ヘビの尾を持ち、気味の悪い声で鳴いた怪物だといいます。
ある人は「サルだ」と言い、「タヌキにちがいない」と言う人も、「いや、トラだ」という人もいました。要するに正体不明で見た時、見る人によって違う動物だということのようです。
1990年代前半に、バブル崩壊をきっかけにして、主に大都市に仕事と住まいを失った人々を、最初はホームレスとい言っていました。やがて、90年代後半から、非正規雇用を続ける人々が、あるきっかけでアパートの家賃を滞納し、敷金や礼金が払えずに保証人もいないため、ネットカフェに宿泊するようになり彼らをネットカフェ難民と呼びました。
やがてネットカフェへの入店に本人確認が必要になるなどの規制が強化されると、ネットカフェ難民や路上ホームレスを対象に、シェアハウスと称して彼らを生活保護申請させた上で1〜2畳ほどのスペースに押し込めて上前を撥ねる貧困ビジネスが横行しはじめます。その中で、消防法違反で摘発されたものを、マスコミは脱法ハウスと名付けました。
あるときはホームレス、あるときはネットカフェ難民、あるときは脱法ハウスと名前を変えて現れる鵺のような存在の背後にあるものは、一度住まいをなくすとなかなか回復が難しい「住まいの貧困」問題だと著者は述べています。
この本には、1990年代から20年間著者が取り組んできたホームレス問題から生活困窮者のための自立支援活動までのなかで折に触れて書かれた文章が収められています。
印象的なのは、ホームレスや路上生活者への偏見の根深さとともに、当の生活困窮者の心の中に根付いている「福祉の世話になるくらいなら死んだほうがまし」という価値観です。ここには書かれていませんが、生活保護という人間の生存権を保障するあたりまえの制度に対する世間の偏見と風当たりの強さの背景にあるものが見えてきます。
稲葉剛「鵺の鳴く夜を正しく恐れるために 野宿の人びととともに歩んだ20年」(発行:エディマン 発売:新宿書房)

0