「確かに『戦争の放棄』の箇所などはわかりやすく解説されており、この小冊子(「あたらしい憲法のはなし」1947年文部省・中学一年生用副読本)のすぐれた点だとわたしも考えている。しかし、この小冊子には、憲法が国家権力を制限するものだという立憲主義の視点が決定的に欠落している。『憲法三原則』は覚えることができても、憲法のもっとも本質的な特質について理解しづらくなっている。『憲法を守っていく』という表現が多数出てくるのだが、国民を主語にしたところが五カ所もある。たとえば『みなさんは、国民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません』というふうに。こうして、憲法は『わたしたちみんなが守るもの』と刷り込まれていく。実際、中学・高校でそのように教えられてきたと語る大学生も少なくない。」(水島朝穂「はじめての憲法教室 立憲主義の基本から考える」集英社新書 P13)
実際、早稲田大学法学部の水島先生のゼミに入った学生の中には、中学時代に憲法の条文を暗記させられたという人がいたという。「授業中に暗誦できなかった生徒は放課後、武道場に呼び出されて、先生と一対一で、言えるようになるまで帰らせてもらえませんでした」とか、「暗誦を間違えると、何度も紙に書かされました」ということらしい。
暗誦させたという先生は、護憲派なのだろうか。そうだとしたら逆効果だろう。この学生たちは頭が良いからそれでも早稲田の法学部で水島先生の下で勉強できたけれど、アタシならそんなことさせられたら、今頃憲法が嫌いになっていただろう。
アタクシのいた中学は、校長が明治天皇御製を朝礼のときに読み上げていたくらいだったから、雰囲気としては君が代・日の丸バンザイの学校だったせいで、憲法の暗誦はさせられなかった。だから、今では日本国憲法は良いものだと冷静に評価できる。
おまけにアタクシは大学でも、「現行憲法の矛盾」なんて言う著作のある先生の必修講義を受けた。この教授の政治学のテストは、教科書を暗記してほぼ同じことを書けば点数が良いというものだった。
アタシはそれらの教育の「成果」で、日本国憲法改正を言いたがるヤカラの言うことには疑いの目を持っているのである。
まあそれはそれとして、いまだに多くの中学・高校の公民、政治経済、現代社会の時間には、「憲法は国民が守るもの」として教えられていて、憲法九九条は無視されているのだということだろう。

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