若い人たちに「夢を持っているか」と質問をするとほとんど手が挙がらず、「人生が楽しいと思うか」、「学校は楽しいか」と聞いても同様だと嘆く年配者がいます。
いろいろな質問をして意見を求めても、「別に・・・」とか「微妙・・・」いった反応が多いといいます。
高校で先生が海外留学の話をしても、意味がないと否定的発言をする生徒が増えているそうです。
まあ、アタシだって高校生の頃、そんなに夢を持っていたかどうか、微妙ですけど。だから若い人たちだけを責めるのもどうかと思います。
文科省にせよ、政権与党にせよ、英語教育を強化しようとしていますが、一方で日本の過去の戦争の過ちを直視することには否定的です。そんなことを学ばせれば、自分の国に誇りが持てなくなる、というのです。
英語で自己主張できる人材を増やそうと言うことのようですが、一方的な自己主張するだけの人間の言うことに外国人が興味を持つでしょうか。日本のアジアへの侵略の歴史に対する知識が欠如していることを見透かされれば、その人がいくらペラペラと英語で語ってもだれも聞く耳を持たないに違いありません。
夢がない、海外に留学することに興味がないというのは、思い当たることがあります。
かつては、日本の自分を取り巻く社会に対する不満があれば、アメリカではそうじゃないとか、北欧の国はもっと進んでいるとか、ドイツは日本と違ってこんな素晴らしいとか、アジアの国々は貧しいが人々の心は豊かだとか、海の向こうに「夢」を託すことが多かったように思います。
もちろん、ホントにそれらの国に住んでみれば、良いことのウラには別のイヤな面もあることを知るのですが、それもまた勉強です。海外に行ってみようという初めの一歩は、自分の生まれた国や社会に不満を持つこと、批判的に見ることから始まるのです。
それが、自分の国と社会を愛せ、好きになれなどと教えたり、日本の素晴らしい点はこれだという知識を頭に流し込むことばかり教育すれば、素直な学生ほど、じゃあそんな日本より劣っている外国にどうしてわざわざ出かけなければならないんだということになってしまうのは、ひとつの論理的帰結のようにも思えるのですけど。
つまり、「愛国教育」というものが、自分も海外へ出てみよう、留学してみよう、日本のソトからいろいろなものを学ぼうという意欲をシャットアウトしてしまうのです。

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