北海道出身の武藤貴也代議士は、滋賀4区に地縁はない。しかしそんな彼を自民党は公認し、総選挙に出馬させ、二度目の選挙でも当選させた。
彼は嘉田由紀子前滋賀県知事の「対話の会・しがネット」の事務員を務め、徹底的なダム建設反対を主張していた。しかし自民党の候補となり、「ダム反対」の主張を180度転換した。
滋賀4区は農水大臣も務めた自民党の岩永峯一が議席を占めていた。岩永は2008年9月に健康を理由に引退を明らかにした。後継者は三男の裕貴が継ぐことになっていた。
ところが2009年に滋賀県甲賀市に本部を置く「神滋秀明会」という宗教団体から6000万円の献金を受けながら、政治資金収支報告書に記載していなかったことが発覚した。岩永は寄付を否定したが、宗教団体側は「政治献金として処理した」と明言したため、問題は「記載ミス」ではすまされなくなってしまった。
2009年年初は民主党に追い風が吹いており、自民党に非常に厳しい状況だった。このため、岩永裕貴は出馬を断念せざるをえなくなった。
そこで自民党は候補を公募することになり、応募してきたのが武藤だった。
地元甲賀市出身で、浜松市議や静岡県議を務めた大岡敏孝も応募したが、最終選考で落選した。大岡氏は2012年の衆院選で自民党から滋賀1区で当選、2014年も当選した。
2009年に公認されたのは、地元出身ではないうえに自民党とは対立する嘉田知事の陣営にいた29歳の武藤だった。普通ならば彼のような人間は公認されないだろう。
だが、もしも大岡が公認を得れば、滋賀4区から岩永家の人間は出られなくなる。そこで当選する見込みのない武藤を、岩永家の影響力が強い地元自民党組織は公認したらしい。
だが、この岩永陣営のもくろみは外れた。2009年8月末の衆院選で武藤は落選したが、自民党本部は滋賀県自民党第4支部の関係者が武藤の公認を外すように頼んだのを、県連が決めるべき問題だとしてつっぱねた。
ゴタゴタしているうちに解散となり、やむをえず武藤を公認したら、2012年12月の総選挙で、民主党大敗・自民党大勝の勢いで当選してしまった。
初めは武藤を利用してやろうと企んだ人間たちが、「策士、策に溺れる」ということで、はからずも「武藤貴也衆院議員」を誕生させてしまった。そして2014年の、安倍総理による抜き打ち的な解散に伴う総選挙でも武藤は当選してしまった。そして、今回の騒動につながっていく、ということになった。
武藤は、かつての嘉田知事支援グループの人々から「なぜ自民党から出たんだ」と責められて、「就活」と答えたという。要するに政治家になれるなら、なんでもいいということだったようだ。
そして彼も2回当選はしたものの、地元の基盤が盤石ではないことを知っているので、ここはひとつ安倍首相に取り入って知名度を上げようとして、国会前のデモに集まる若者批判をツイッターで発言したら、逆にそれによって墓穴を掘ってしまったということのようだ。
参照
http://toyokeizai.net/articles/-/81927

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