著名な法哲学者である尾高朝雄は宮沢俊義との「8月革命説」をめぐる論争をした。
尾高は、憲法上天皇主権が主権在民に代わっても、主権はノモスにあるとするノモス主権論をとなえた。ノモスとは、個人を超えた公正を実現する道徳とか伝統のようなもののことらしい。
ノモスは連続している。だから日本国憲法は大日本帝国憲法とつながっている、という主張らしい。
これは憲法論としては妥当かどうか疑問だろう。しかし実態としてはどうなのか。
近代日本の国教は国家神道だった。敗戦により、占領軍は国教としての国家神道は禁じたが、人間宣言した天皇の「私事」には手をつけなかった。今日でも神道に基づいた宮中祭祀は天皇家の私事として継続している。
戦後日本においても、象徴天皇、あるいは隠れた「国家神道」が存続している限り、個人としての主権者が政治意思決定の主体たりえないという認識を、ノモスが連続していると解することは可能である。
したがって、隠された国家神道を表に出そうと試みる人々が根強く存在している。しかし一方、それを強行に拒絶しているのが「みなさんとともに日本国憲法を守り」と即位のときに宣言した今上天皇である。
主権者たる国民は、主権者であることの責任を回避しようとする傾向が見られるのに対し、現行憲法で例外的に普通の人間としての人権を奪われた存在である天皇が、自分に与えられた言論の自由の限界まで挑戦するような言葉を発しているというのは、「なんともはや・・・」な光景である。

0