坪内逍遥や二葉亭四迷に始まる近代文学の流れは、目覚めた自我と共同体の葛藤が大きなテーマになってきた。
共同体という言葉は、近代文学の中ではマイナスの価値で語られてきた。共同体を破壊すること、あるいは共同体のしがらみから脱出することが、近代文学の目指すものとされた。
その中で、柳田国男の『遠野物語』は異色の著作であった。しかし、文学として扱われるよりは民俗学の業績として語られてきた。
例えば、『遠野物語』六九話にこのような話がある。ある貧乏な百姓が養っていた馬がいたが、「(彼の)娘この馬を愛して夜になれば厩舎に行きて寝ね、ついに馬と夫婦になれり。ある夜父はこの事を知りて、その次の日に娘には知らせず、馬を連れ出して桑の木につり下げて殺したり。その夜娘は馬のおらぬより父に尋ねてこの事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首に縋りて泣きいたりしを、父はこれをにくみて斧をもちて後より馬の首を切り落とせしに、たちまち娘はその首に乗りたるまま天に昇り去れり。」(1)
この話は、単なる日本一国の民間伝承の記録というよりは、世界に普遍的なメルヘンの香りが漂い、夢幻的で民衆解放的な要素をはらんでいる。
また、九九話には次のようなものがある。
「土淵村の助役北川清という人の家は字火石にあり。」「清の弟に福二という人は海岸の田の浜へ婿に行きたるが、先年の大海嘯に遭いて妻と子とを失い、生き残りたる二人の子と共に元の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたるところにありて行く道も浪の打つ渚なり。霧の布きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女はまさしく亡くなりし我が妻なり。思わずその跡をつけて、はるばると船越村の方へ行く崎の洞あるところまで追い行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑いたり。男はと見ればこれも同じ里の者にて海嘯の難に死せし者なり。自分が婿に入りし以前にたがいに深く心を通はせたりと聞きし男なり。今はこの人と夫婦になりてありというに、子供は可愛くはないのかといへば、女は少しく顔の色を変へて泣きたり。死したる人と物言うとは思われずして、悲しく情けなくなりたれば足元を見てありし間に、男女は再び足早にそこを立ち退きて、小浦へ行く道の山陰を廻り見えずなりたり。追ひかけて見たりしがふと死したる者なりしと心付き、夜明けまで道中に立ちて考え、朝になりて帰りたり。その後久しく煩いたりといへり。」(2)
吉本隆明は『共同幻想論』において「山人譚で重要なことは、村落共同体から離れたものは恐ろしい目にであい、きっと不幸になるという〈恐怖の共同性〉が象徴されて」おり、「村落共同体から〈出離〉することへの禁制(タブー)がこの種の山人譚の根にひそむ〈恐怖の共同性〉である」と言っている。(3)
しかしながら、吉本の共同体観はかなり一面的である。というより、共同体からの離脱が個人の自立をもたらすという近代の病に侵された見方である。
馬と夫婦になり、嫉妬した夫が殺した馬の首に乗って天に昇った妻も、津浪によって死んだはずの妻が結婚以前に心を通わせていた男と夫婦になっていたという話も、ままならない現実のしがらみ(縁)の世界から降りて生きることができる無縁世界を、人々が身近に持っていたということに他ならない。
近代文学は、自我と共同体を対立させて考え、共同体からの自立を自我の解放と考えたが、結果として「文壇」という別の共同体のしがらみを作り出す結果に終わった。
柳田国男は、家が集まって肩を寄せ合う集落の共同体、人間の手に入らない人跡まれな山中のような神や精霊や山人の住む神霊空間、そしてその中間にある神と人との共生空間である祖先たちの霊魂があつまる空間の三つからなる近代以前の社会を、『遠野物語』において表現した。重要なことは、現世としての集落の共同体は、神霊空間と共生空間という「異界」とそれほど遠く離れたものとして存在するわけではないということである。
女、子供が神隠しにあったり、また戻ったりする交流空間は決して「恐怖」と「タブー」の世界ではなく、ときに現世から「異界」へと離脱することによる解放をもたらしもした。
「人間であった時、己は努めて人との交を避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。」(4)
中島敦「山月記」で主人公の李徴が虎になったわが身を嘆きつつ、友人の袁惨に語る。李徴は若くして官吏登用試験に合格し、広く学問に通じた秀でた人材と言われた。しかし彼は、「下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとした」(5)。
しかしその志はならず、妻子の生活のために節を屈して官の世界に戻ったが、昔、鈍物として歯牙にもかけなかった連中に命令される立場になり、自尊心を傷つけられ、ある日ついに発狂して虎になった。
李徴はある意味、共同体の軛を絶って自らの才能で自立し、世に立とうとした近代人であった。しかも、封建的な遺制を残した官吏の世界にあきたらず、文学者の新たな共同体に参入できずに、挫折した。
彼は臆病な自尊心ゆえに挫折し、虎に身をやつした。しかしながら、それは挫折だろうか。彼ははからずも近代の病から降りて、「異界」へ離脱したのではないだろうか。それは挫折ではなく、解放だったのかもしれない。
注
(1) 柳田国男『新版遠野物語』p44 角川ソフィア文庫 2012年
(2) 同上 p60
(3) 吉本隆明『改訂新版 共同幻想論』p59角川ソフィア文庫 2008年 31版
(4) 『中島敦全集1』p34 ちくま文庫 1993年
(5) 同上 p27

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