戦争といえば、実際に軍隊同士が衝突する戦場を思い浮かべることが多い。
だが、現代の戦争は明らかに国家が国力のすべて、すなわち軍事力のみならず経済力や技術力、科学力、政治力、思想面の力を平時の体制とは異なる戦時の「総力戦体制」で運用して争うことが必要とされる。
井伏鱒二の「遥拝隊長」は、 戦争のために気が狂ってしまった三二歳の岡崎悠一が、敗戦後5年を経ているのに、まだ戦争中だと思い込んで、ふるさとの村人たちに号令をかけるなどの奇行を演じる様を描いている。
部下に皇居のある東方を遥拝させる。戦争中には国家への忠誠の証であった行為が、今では単なる迷惑な奇行にしかならなくなった。
岡崎悠一の自宅には杉の垣根(杉垣)があった。 この杉垣は、悠一の父が亡くなったあと、母が宿屋の住込み女中となり、ひとりで稼いでつくったものである。
その杉垣に加えて、母は「庭の入口にコンクリート造りの厖大な門柱を立てた」。
周囲の風景からは調和のとれない立派な門柱ではあったが、この母親の意気込みには近所の人たちも一目おき、村長までがその門柱をほめた。そしてそのことが母親を大変に喜ばせた。
「それから二三日して、村長は小学校長といっしょに悠一の内を訪ね、お袋の前で、悠一を幼年学校入学応募生の有資格者として推薦すると言った。理由は、悠一が学童として優秀であり、悠一のお袋が人格者であり、模範的な一家であるゆえだというのであった。お袋はたちまち感激してしまった。」
父のない家に立派な門柱を建てたのは母のがんばりのしるしだった。母親は「門柱をこさえといてよかったずらあ」といった。
しかしながら、校長が本当に悠一を学童として優秀で、母親を人格者だと思ったのかどうか。作者は、校長の側の都合を冷静に記している。
「もうそのころは、大陸戦争が拡大して、軍関係の学校は莫大もない数で生徒を入学させていた。同じ軍関係の低年者を収容する学校でも、躍起となって生徒の大量獲得を急いでいた。軍当局から全国の各市町村に命令して、学童たちが受験するように推薦制度で応募させる手段を取っていた。悠一もそれに応じた一人である。」
校長は、軍当局から全国市町村へ下った命令に忠実であることを強いられる立場にあった。言い換えれば、悠一が学童として優秀であるとか、母親が人格者であるとかは後付けの理由に過ぎない。
この母親と、この子供なら間違っても中途で挫折してしまうことはあるまい。子供が幼年学校、士官学校の道を中途でやめたいといっても、母親がむしろそれを止めるに違いないとまで、校長は計算しているに違いない。
作者は、戦争を遂行する国家の「総力戦体制」への人間の動員が、強制力ではなく、むしろ社会の底辺の人々の「自発性」を刺激することによって発動されていく様を冷静に把握していた。
幼年学校に進んだ悠一は士官学校を経て、マレーに派遣される。そこまでは極めて順調であった。しかし、マレーで思わぬ事故にあい、足と頭を負傷して送還された。
戦争が敗戦に終わったということは、この母と子が素直に信じた信念の体系が一夜にして崩壊したことを意味する。
狂気に陥っている悠一は、ときおり発作が出ると、まだ戦争中だと思い込んで、道ばたであった村人たちに号令をかける。新しい時代に適応した人から見れば、それは「軍国主義の亡霊」といって怒りの対象でしかない。
シベリアから帰還した与十という男は、たまたま敦賀からの帰りの汽車で知り合った上田五郎元曹長から、マレーでの悠一について聞かされる。
「遥拝隊長は輸送船のなかで、部下に遥拝させること以上に、兵隊に訓示をするのが好きなようであった。訓示をしたいばっかりに遥拝させるのだ、と悪口を言う兵もいた。潜水艦がこわいので大言壮語で虚勢を張っているのだろう、と言う説もあった。あるとき『なぜ遥拝隊長に、他の部隊の隊長が、遥拝もいいかげんにしろ、と言わんのだろう。』と疑問を出した兵がいた。これは遥拝部隊の兵が、だれしも持ち出したい問題だが、友村上等兵が『あのばかさかげんは、軍紀違反じゃないというだけの話じゃろう。いかに軍規が、寛大かということを語っとる。そのくせ、わしらがシャツ一枚でも盗まれたら、重罪じゃ。』と言った。おおむね、友村上等兵は明けすけに口をきく男であった。その点、要領の悪い兵隊であったということになる・・・・。」
ここから分かることは、悠一が国家の方針をタテマエ通りに受け取った人間だということである。
多くの兵隊はタテマエはタテマエとして逆らわないが、ホンネではタテマエを頭から信じる人間には「いいかげんにして欲しい」ものだと考えている。
多くの人が、内心ではこのままではマズイと思いつつ、組織のタテマエの暴走が止められなくなるメカニズムがここに描かれている。
カフカの「流刑地にて」の将校も、「遥拝隊長」の岡崎悠一も、軍や国家の推進力となったひとつの「政策」があっけなく方針転換してしまっても、その国家の「転向」についていけない人間の悲喜劇を描いているという点で共通する。

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