俵屋宗達の『伊勢物語図色紙』は、伊勢物語六段のいわゆる「芥川」を絵画化したものである。
俵屋宗達は桃山時代の京都における町衆文化の中から生まれた絵師である。
近代以前の絵画、彫刻などの美術作品は、天皇を初めとする公家や、あるいは将軍を頂点とする武家の庇護の下に制作されたものが多かった。
京都においては、室町の初期のころから商業や手工業に従事する者が活発になり、さらに十五世紀半ばになると、公家たちから「町衆」と呼ばれた、独自の社会集団が形成された。さらに室町末期になると、町衆は能楽や茶の湯などの文化的な活動に関わるようになり、絵画などの美術品への関心も高くなった。
町衆のあいだでは、絵画の中でも扇絵の人気が、比較的早くから高まった。こうした室町末期から安土桃山時代に台頭した町衆を基盤に登場したのが、後に「琳派」と呼ばれる様式を創始したと言われる俵屋宗達である。
俵屋宗達は、本阿弥光悦と密接な関係があったとされる有力な町衆のなかにいたとされるが、伝記的な事実は不明なところが多いが、色紙、短冊などの料紙装飾や扇面図などを制作する紙屋である「俵屋」を起こしたとされる。
『伊勢物語』は、平安初期の歌人在原業平をめぐる恋を題材にした歌物語であるが、俵屋宗達が描いたとされる『伊勢物語図色紙』は現在四十七面残されている。四十七面中、五面を除いて詞書きがあり、その筆跡と色紙裏書きの筆者名から年代が推定され、寛永十一年(一六三四年)から二十一年(一六四四年)の間に書かれたものと考えられている。だが、それらの絵には巧拙があり、必ずしも宗達のみが描いたものとも考えられないとされるが、第六段「芥川」の図(大和文華館蔵)は宗達自筆と見なされている。(1)
まだ若くて美しい姫君を、何年にもわたって恋い焦がれてきた男が、ようやく女を盗み出し、芥川のほとりに逃げてきた。あたりは夜も更けて暗いなか、女を見上げている。
物語としては、この後荒れて開け放してある倉で一夜を過ごすのだが、男が弓を負って戸口を守っていたにもかかわらず、雷鳴とともにやって来た鬼に一口で食べられてしまい、やがて夜が明けたとき、見れば大切な女がいなくなっていた、というものである。男は悲しみにくれるが、もはやどうすることもできない。
宗達の色紙は、背景に「昔、男ありけり」で始まる六段の冒頭が散らし書きされているが、画面中央には大きく、女を背負った男を描いている。袖口の赤や男の狩衣の金の模様が目立つ。女の袿(うちぎ)がふたりの体を全体に覆っていて、二人が同体のようになっている。二人は固くひとつに結ばれているかのようにも見える。
鎌倉時代末期の作と言われる『異本伊勢物語絵巻』(東京国立博物館保管)は、同じ題材を扱っているが、物語の流れに沿って、絵が右から左へと展開する。いちばん右に位置する、女を背負って逃げる男は、歩みながら抱き合い、見つめ合っている。周囲の草むらも、草に結ぶ露も、川の流れも描かれていて、芥川という場所を暗示している。
これに対して宗達の色紙作品では、二人を取り巻く環境は、すべてが抽象的な感じがして、あたかも夢の中であるかのようである。二人を取り巻くものは、ムラのある金色が「たらしこみ」の技法を使って塗り込まれている。そして金の中に、群青と緑青が塗られている。それは草むらや、川や岩を表しているかのようにも見えるが、具体物の描写とは遠い。だが、色は鮮やかであり、たらしこみの技法によって、おぼろげな感じを漂わせている。具体性を離れた配色が、一種の夢幻性を表し、全体に画面を動的と言うよりは、時間をストップさせた静的なものとして描き出している。
宗達は確かに伊勢物語から題材を得てはいるものの、物語の流れを描くのではなく、色紙という小さな限られた空間の中に状況説明を排して静止した空間に、情感を込めた世界を絵の中に完結させようとしている。
見つめ合っている二人の目も、単純な一本線で描いているかのように見えるが「実は淡い墨線を引き重ね、瞳の微妙な表情を表そうとしている」(2)という。
『伊勢物語』は物語と称してはいるが、一段一段は短い話の集成であり、あくまでも「歌物語」である。したがって、物語の展開を時間に沿って展開するように絵で表現するよりも、情感をくみ取ってある場面を切り取り、瞬間の情景に結晶させる宗達の描き方に一日の長があった。これは、宗達が色紙という画面形式の特性を把握しながら絵画空間を構成したことを示している。
二人の周辺を、具象からはなれて「たらしこみ」の技法を使い、おぼろげな雰囲気を醸し出すことによって、ようやく二人になった男女が、翌朝になってみると、出会いは束の間のはかない逢瀬であったことを知らされ、昨日の出来事は夢か幻であったのかという思いもまた絵の中に描き込まれている。
(1)『俵屋宗達 日本美術絵画全集14』集英社 1976年
作品解説(橋本綾子) p141
(2)千野香織・西和夫『フィクションとしての絵画』ぺりかん社 1991年p203

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