昔、オウム真理教になぜ高学歴の優秀な学生が入るのか不思議だと言われた。
アタシにはそれほど不思議だと思えなかった。
近代社会は、科学が大きな位置を占めるようになり、宗教はしだいに生活の中での位置が低く(あるいは狭く)なってきた。
進化論や地球科学や天文学の発達で、聖書の物語は否定され、あくまでもヒトの心の問題として、あるいは文学的な表現として位置づけられた。
自由主義神学によって、宗教は個人の内心の問題だとされたのだが、実はヒトは案外見えない世界に生き方を規定されていることがある。
日本人は無宗教が多いと言いながら、占いに惑わされ、水子信仰に支配される。要するに見えない宗教心である世間教、会社教が否定できない。
ヒトは伝統宗教に心満たされないものを感じていて、少しの躓きでトンデモ宗教の勧誘に引っかかってしまう。
ところが過去にさんざん過ちを犯し、内ゲバ・殺し合いまでやらかした伝統宗教は、案外に知恵に満ちていることがある。まあオトナの狡さに耐えられないというヒトは、聞く耳を持たない話かも知れないが・・・。

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