中原中也の「汚れちまった悲しみに」は、七・五調で書かれています。
汚れちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
西洋の詩には韻律があります。
そして昔の戯曲、例えばシェイクスピアの戯曲も、詩で書いたせりふ、散文のせりふ、作中人物がうたう歌謡の3つでできていて、詩で書いたせりふは強弱の律があり、歌謡には韻と律があります。
西洋の詩が持っている韻律(音楽的な楽しさ)とレトリック(いいまわしのおもしろさ)は、明治以前の日本の詩、和歌や俳句、漢詩にもありました。
漢詩には韻があり、和歌や俳諧には韻はなくても律があったわけです。
西洋文学の古典の中心に詩があったように、日本文学の中心にも詩があり、物語や能や歌舞伎も七五調の言葉がありました。
明治初期、西洋文化が輸入され、新体詩といわれる近代詩が誕生しても文語による七五調は生きていましたが、詩は結局口語散文詩、あるいは行わけ散文になり、「このせいでといういい方は乱暴だけど、詩が文学の中心部ではなくなった」という見方を丸谷才一はしています。(丸谷才一「文学のレッスン」新潮社 2010年 p256)
彼の見方によれば、「とにかく日本近代文学は詩を失った。それでもなおかつ文学であろうとしたという、非常にかわいそうな文学なんですよ」ということになります。
しかしながら、丸谷も指摘しているように日本の近代詩に欠けている韻律の美を表現しようとした「マチネ・ポエティク」の人々(中村真一郎、福永武彦、加藤周一、原條あき子、等)の詩は、あまり成功しませんでした。
彼らが詩作を始めたころ、シュールレアリズムを初めとして、西洋の詩は韻律よりもイメージを重視する傾向に変わっていたからだといいます。
島崎藤村の「千曲川旅情の歌」は今読んでも意味は分かるし、その感情も理解はできますが、あの形式で現在の私たちの感情を表現すれば時代錯誤なものになってしまいます。
中原中也の「汚れちまった悲しみに」からは、強引に自分の気持ちをねじ伏せているような、奇異な気持ちにさせられます。
その七五調は、感情にすべてを溺れさせるものがあって、悲しくてヤケクソな気分になっているときならそれはそれで良いのかも知れませんが、一面なにか酒に悪酔いしたような気分が残るのです。

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