7月1日夜、武装集団がバングラデシュの首都ダッカ市内のレストランを襲撃し、人質を取って立てこもり事件を引き起こした。
結果としては、治安部隊の突入によって邦人7人を含む20人が犠牲となった。
バングラデシュの政治は、安定しているとは言えない。
2009年に政権の座に返り咲いたアワミ連盟(AL)党首のシェイク・ハシナ首相は翌10年、1971年の独立戦争時の犯罪を裁く特別法廷を設置した。
西パキスタン(当時)に加担して暴行や虐殺などを行ったとしてイスラム政党ジャマアテ・イスラミ(イスラム協会、JI)幹部らに相次ぎ死刑や禁固90年などの重刑を言い渡してきたのである。
2013年末以降、死刑判決が出ていたJI幹部の死刑が相次ぎ執行された。
今年5月には2000年代前半にハシナ首相のライバルだった同じ女性政治家カレダ・ジア首相(当時)の下で農相、鉱業相などを務めたモティウル・ラフマーン・ニザムJI党首(73)の死刑が執行された。
こうした政府主導の裁判に反発し、JIの支持者らは街頭でのホルタール(破壊行動を伴うゼネスト)に集中し、放火や投石、治安部隊との衝突などを繰り返し、そのために多数の死傷者も出た。
ダッカ市内ではリベラルで世俗的な作家や人気ブロガーが、JI支持者らとみられる暴漢に襲撃され死亡する事件が相次いだ。犯行にイスラム原理主義の匂いが漂い始めた。
ダッカ大学などでは、これらに抗議して、「反イスラム」の集会が開かれた。こうなると、国民同士や世代間の対立が深まってきた。
2015年2-3月にはホルタールが先鋭化し、2カ月間で100人以上が死亡する事態に発展した。
9月にはイタリア人が、10月にはバングラデシュ北部で農業支援に携わっていた邦人が殺害された。
今年5月以降も、10万人規模に膨れ上がったデモ隊と治安部隊の衝突で約40人が死亡していた。
政府はJIのニザム党首の死刑執行に反発する支持者の動向を警戒していた。
国際テロ組織イスラム国(IS)であれば、普通は自爆テロを行い、人質を取った立てこもりは選択しない。
人質事件を選んだ背景は、政府と何らかの交渉をする用意があったのか、人質を1人ずつ殺害する形で「報復」を印象付けようとしたのか、分からない。
政府側が早い段階で武力突入を決断したのは、政治犯釈放や政治的妥協などの条件を付きつけられることを嫌い、「交渉」に持ち込まれることを避けたかったのではないかとも推測できる。
2014年1月の総選挙では、選挙管理内閣の設置要求を拒否されたカレダ・ジア元首相率いるバングラデシュ人民党(BNP)など野党18党がボイコットし、ハシナ首相率いるALが「圧勝」した。
結果として第3期ハシナ政権が発足したが、選挙の正当性には疑問の声も出ていた。
いまだに未解決の、独立戦争をめぐっての政治対立や、それを蒸し返したような与野党の対立が、今回の事件の背景にどれだけあるのかは分からない。しかし、古い対立構造を利用してイスラム原理主義が浸透してくるとなると、問題は極めて厄介なことになる。
参照
http://www.fsight.jp/articles/-/41335

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