1982年のギャラップの世論調査で、一世帯当たりの所得満足について調べたものがある。
「大変満足している」と答えた人を学歴別に見ると、「大学卒業」は48%、「高校卒業」は41%、「中学校卒業」は41%と、いずれも40%台だった。
「私的生活で物事はうまくいっているか?」という問いについても、満足している人の割合は学歴によってさほど変わりがない。「大学卒業」で85%、「高校卒業」は72%、「中学校卒業」で70%だった。
アメリカでは、物事がうまくいかないときに「どうせ、俺は学歴がないから」とは考えないということだ。周囲の人も、あの人は学歴があるかないかを問題にしていないようである。
一方で、学歴と職業との関係は、非常に明らかである。
ギャラップの調査の2002年から2005年までの集計では、プロフェッショナル/エグゼクティブ(Professional/Executive)は、「高校以下の学歴」で20%、「大学教育を途中で止めた人」は34%、「大学卒業」では55%、「大学院卒」で79%だった。
一方、ブルーカラーでは、「高校以下の学歴」で43%、「大学教育を途中で止めた人」は44%、「大学卒業」は37%、大学院卒で17%だった。学歴が高くなるのに従い、ブルーカラーは少なくなる。
「時間給、給料」のいずれの報酬体系で働いているかを質問した結果によれば、「時間給」と答えたのは、先の順番で言えば68%、55%、33%、13%。学歴が上がるに従って減る。
その一方で、「給料」と答えた人は同24%、29%、55%、77%。学歴が上がるにしたがって増えていた。
所得が3万ドル以下の人では、給料の人が19%、3万ドルから7万5000ドルの人では37%、7万5000ドル以上の人では61%。この所得の順序で、時間給の人は74%、52%、25%と割合が減っていた。
アメリカでは、職業や所得と学歴の関係は歴然としている。だがそれが社会問題化はあまりしてこなかった。
日本や韓国では大学受験のために高校生活を犠牲にするのはいいことかどうかが、年中行事のように社会問題化する。
アメリカでは日本と比べて、学歴が人々の収入や職業などに強く影響を与えている。だが、日々の生活の満足感には、学歴による差などはあまりない。
日本ではアメリカより、学歴の有無や最終学歴のステイタスなどに影響を受けている人が多く、事実に基づくかどうかは別にして、「思い込み」に近いものも少なくないにしても、そのため、学歴が人々を萎縮させ、閉塞した社会になっていく一因に見える。
人が幸せになるためには、「自己否定的な努力」をするべからずというのが、日本と亜米利加の大きな違いに見える。
大学に入るために、遊びたいのも我慢して受験勉強をしたという話はあまり聞かない。これは日本のように一発勝負のペーパーテストがまず突破されなければならないからだ、という事務的な問題でもなさそうだ。
日本のように偏差値が高い、低いという一元的な基準に合致しているかどうかは、アメリカでは問われていない。
日本の社会は、多くの人が自分はいつも「最善」を選んで生きてきたと信じ込んでいるが、実際のところ、「世間」の価値観に自らを委ねてしまい、いわば「自己否定の努力」を続けているのかのように見える。
日本の社会では、カメがウサギと競い合おうと努力をして、消耗を繰り返しているように思える。努力には2つのものがある。
それは、本来の自分であろうとするために必要な努力と、自分を否定して新しい自分に変わるため努力である。だが日本では、自分を苦しめる「努力」がホンモノとされる。
努力するのはいいことだが、これは何かがおかしいと感じたり、どうもつまらない、理由もないのにイライラしたり、焦ってくる。それは意志と努力に何らかの誤りがあることが多い。その場合、「自分を否定する努力」をしているかもしれない。
努力しようとする意志は自己破壊的に働き、官公庁や大企業でエリートコースに乗り出世する人などは、努力するための意志は強い。しかし、なかにはうつ病になったり自殺をしたりする人も現れる。
それはつまり、自分を否定する努力をした可能性がある。頑張った末に自殺をするのは、いかにも悲劇である。「自分でない自分」を生きている人は、成功したように見えても不幸なのであろう。
そもそもウサギとカメが競争すること自体に意味がないのである。
もっともアメリカにおいても、「私は、そういう人間ではありません」という言葉を言えなかったがゆえに、自己否定的な努力をすることになり、次第に自分ではない人生を歩むようになる人になってしまうことが多い。
ウサギがカメに「どうしてそんなに遅いのか」と声をかける。「そんなことは余計なお世話ですよ。私はカメですから、遅いのが当たり前」と言えずに競い合う。そもそも、ウサギは仲間と一緒に野原で遊んでいたら、カメと出会うわけがない。
このウサギは仲間とのコミュニケーション力が低く、孤立していたのだ。
自分の人生を生きていないウサギと、自己を見失ったカメとの出会いは、どのような結果になるにせよ、双方とも幸せにはならなかった。お互いが最善の生き方をしていないので、うまくいかなくなるのは当然なのである。
日本社会は、自己不在のウサギとカメのような人が多い。自分の性格、気質や能力、適性などに合わない生き方をしているから、そこに「学歴病」がはびこる。
参照 ダイヤモンド
【第24回】 2016年6月28日 吉田典史 [ジャーナリスト]
低学歴でも幸せな米国人と、高学歴でも不幸せな日本人の格差

0