「もんじゅ」の廃炉が決まりそうだ、といってもそもそも「それなに?」の人が多いだろう。
「もんじゅ」とは、福井県敦賀市にある核燃料サイクル研究用の高速増殖炉のことだ。
この高速増殖炉は、ずっと「夢の原子炉」と言われてきた。
日本の原子力開発は、商業用の原子力発電はむしろ傍流で、燃やしたウラン「燃料」を再処理して原発の燃料として再使用することで、際限なく循環させることができると考えられたからだ。
日本には資源がない、だから石油資源を干されたらたちまち経済も、軍事も行き詰まる。
戦後、原子力の「平和利用」が政治の左右を問わず支持されたことがあったのだ。
日本はエネルギー資源に乏しい国だから、高速増殖炉は日本の原子力行政が始まった1950年代から、「国策」として位置づけられ、「もんじゅ」はその研究開発用の原型炉で、1994年には初臨界に達している。
しかし、核燃料サイクルの研究ははっきりいって「夢」のままで終わることが諸外国(核兵器保有国の欧米諸国)の研究動向で明らかになった。にもかかわらず、日本はかなり無理をして、日米原子力協定を結んで、「この道しかない」と「もんじゅ」や六ケ所村の施設を建設し続けた。
しかし、その後の経緯は、お粗末としか言いようがなかった。
1995年に「もんじゅ」ではナトリウム漏れ事故が発生する。
そしてその事実を、当時、運営母体であった動燃(動力炉・核燃料開発事業団)が隠蔽していた。
さらに、事故の様子を撮影したビデオの一部を隠し、動燃の担当者が自殺する。
その後、もんじゅは運転を休止するが、2010年に試運転を開始した。
しかし、今度は部品の一部が落下し、また運転休止となった。
2012年には原子力規制委員会が、規定に基づく機器の点検漏れが9679個あったと発表した。
約1兆円の国費を投じた「夢のエネルギー」研究の失態は続いた。
結局、運営の受け皿が見つからず、廃炉を含めた開発の見直しが行なわれることになった。
「もんじゅ」の廃炉は当然だろう。だが、では日本にすでに溜まっている1万7千トンもの使用済み核燃料をいったいどうするのか。ため込んだプルトニウムの処理をどうするのかで、諸外国の疑念を買っている。
それらの処理問題を考えずに、原発の再稼働をするのは無責任だろう。
そもそも原子力の「平和利用」というアイデア自体が、第二次世界大戦という総力戦の時代に膨大な予算を投入して開発した科学技術の知見を、第二次大戦後になんとか「平和利用」しなければならないということから出てきたものだ。
毒ガス研究の「平和利用」が農薬になり、核開発の「平和利用」が発電であった。いずれも大量生産・大量消費、高度経済成長の時代にもてはやされた「夢」の科学技術だった。
もういいかげん、「夢」から醒めるべきときなのであるが、政治は一向に方向転換しそうもない。

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