「Political Crrectnessということ???」
ことば
「朝鮮(チョーセン)」という言葉を、ある文脈で使うと極めて差別的侮蔑的になる。しかし、朝鮮半島の北半分に行けば、それは素晴らしい国を意味する。
もちろん「朝鮮」という言葉が差別的なのではなく、その言葉が使われる文脈、とりわけ使う人間の主観、使う状況、その言葉が向けられる相手との関係によって差別的になる。
差別は言葉に宿るというよりは、関係の中から生まれる。
ブラック企業という言葉がある。日本の労働現場で被害を受けている労働者と加害を行っている企業との間で、、特定の文脈と関係の中で使われている。
ブラックを悪者の代名詞で使うのは、黒人に対する差別になるから別の言葉を使えということを言う人もいるようだが、どうも放送局の「放送禁止語」のような感じがするのはアタシだけか?
放送局などで特定の言葉を使うなということは、例えば差別そのものをなくすというよりは、とりあえず被差別者の団体などから文句を言われないためにというような、トラブル回避の思想によって行われているようです。
「ブラック」も、色やそのイメージを指す表現で、ある文脈では黒人を指す場合もあるが、良い意味にも悪い意味にも使われる。それは文脈やその言葉が使われる人間関係において判断するしかない。
文脈や人間関係を無視して、その言葉は差別だと言い募ることを、PC(Political Correctness)と言う。PCを日本的に言えば、差別語狩りになるだろう。
相手に対する差別が行われていない場合でも、アイツの言っていることが気に入らないといって貶めるために使われ、不毛な議論の原因になる。
ごていねいに、「**が聞いたらどう感じると思うのか」とか「**の人たちを傷つけるな」などと、勝手に文脈を変えて議論の相手の口封じにも使われたりする。人間関係と文脈と勝手に意味を読み変えて非難する悪質な恫喝というものも、議論を不毛にするものである。

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