明治10年に生まれ、昭和3年に死んだ右翼活動家である渥美勝は、日本神話に基づく日本人の生命観と使命感を説いて、真の維新と、高天原を地上に実現せよという主張を街頭で日々演説した。
彼は多くの右翼活動家と交流し、その葬儀に多くの人々が参列するほどに敬意を持たれた人ではあるが、彼らを強く指導したり、強固な党派を成したりすることもついになかった。多くの右翼活動家が、政治結社を維持するがために、財閥を脅し、金を強要することもなく、まして暗殺を企てたりもしなかったようだ。
渥美は、幼くして父を失い、京大時代に母を亡くしたとき、その母を思って学校にも出られなくなるほどに沈み込んだ。そのとき、近所の幼稚園の子供たちが歌う桃太郎の歌を聞き、その時から自分は桃太郎のように聞きたいと願った。それが日本神話による自己の救済ということなのである。
渥美が一高から京大に進学し、退学する時代は日清・日露の戦争の狭間の時期にあたっていた。日清戦争後の時代は、青年たちの間に資本主義的な成功へのあこがれが強かった時代である。いかに成功するか、どうすれば大きな仕事が成し遂げられるかが雑誌に記事として頻繁に取り上げられた。
これだけ見れば、渥美の生き方がとてつもなく異様に映る。しかし、世渡りや成功への志向が強かった彼の同僚が、ドロップアウトした彼を同時に敬愛したのはなぜか。
成功熱に浮かれた時代は同時に、人生とは何かという、極めて人間の内面に沈潜する思考がはやった時代でもあった。この内面と外面に引き裂かれた人格とは、うぶな帝国主義国家としての日本という地位が反映したものだということができる。
まさに桃太郎は、天真爛漫に帝国主義的な世界のフロンティアに向けて自己を膨張させていくという物語なのである。そのイメージは天真爛漫、自由にして大胆、陽気に明るく、がむしゃらで暴れん坊というものである。
内部生命への沈潜が、同時に征服主義的な発想と裏返しなのである。日本は、世界が日本を幸福にしようと誘い出してくれたのだから、その誘いを素直に受け入れ、躊躇、反省、苦悶があっても、世界に交わる中で世界に対して新しい価値観を示さねばならない、というものである。
この時代に渥美のように欧米流の教育に満足せずにドロップアウトした「浪人」型の生き方はせずに、勃興する資本主義的な潮流に乗って立身出世した人々の中にも日本主義者、国家主義者が多数いた。その彼らにすれば、渥美こそが昭和の維新の願望をもっとも純粋に印象付けた人物と映り、懐古された。
だが日本人が仏教の解脱や、キリスト教の救済の道にも勝って人間らしい生命の理想を暗示するものとしての祭りのみこしは、しばしば祭りの熱狂の中に、政治の論理も思想の倫理も溶解させてしまう集団ヒステリーにも転嫁しやすい。日本人としての独自の価値の主張が、同時に独善に転化もするのである。
政治とは「まつりごと」だというのは、まさに日本人の独自の考え方だという主張は根強くある。渥美は、しばしば神輿担ぎに自分の生命感情の表出を見出したのだが、丸山真男によれば神輿は権威を、役人は権力を、浪人は暴力をそれぞれに代表する。国家の秩序と地位の合法的な権力関係は、神輿が最上位で無法者は最下位にいるのだが、実は神輿はしばしば単なるロボットにすぎない場合がある。
祭りは、渥美によれば浮浪者も心を躍らせて参加し得る人間本来の生命の躍動である。神輿のカリスマに依拠することで、取るに足らない自分も勇躍することができる。しかし別の見方をすれば、お祭りの熱狂は政治の論理も思想の倫理もその中に溶解して、集団的なヒステリーになる危険がある。そこに生ずるのはまさに、政治権力を託されたものの責任の回避なのである。

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