みなさん、あけましておめでとうございます。今年は必ず総選挙がある年です。メディアと政治について本日はお話したいと思います。
小泉政権の時代、ワイドショー政治という言葉がはやりました。小泉総理の秘書であった飯島勲氏は従来の三大紙ではなく、スポーツ新聞や民間放送の報道番組ではない情報バラエティー番組に小泉さんの情報を意図的に流すようにしたと言います。
少なくとも、田中真紀子外務大臣が更迭されるまで、その意図は大いに功を奏していたと思います。
田中真紀子さんを更迭すると、支持率は一気に下がりました。しかし、北朝鮮の電撃訪問と拉致被害者の帰国が逐一テレビ中継されると、再び支持率は上昇しました。
そして郵政民営化法案が参議院で否決されたあとの、赤いカーテンを背景にした衆議院の解散を発表した記者会見の演出と、争点を一つに絞り、造反議員の選挙区には刺客を送るという郵政選挙があり、これに大勝します。
郵政選挙での圧勝と、法案の可決後は目的を見失ったように内閣は失速気味になります。折から、小泉改革のほころびとも言える、格差問題が表面化し始めますが、競争がれば格差はあたりまえという強弁で乗り切ろうとします。
それでも任期終了に向けて政権はレームダック化するかと思いきや、首相退任直前に8月15日の靖国参拝を強行して再び朝からテレビ中継でワイドショーの話題を独占します。
こうしてみると、小泉さんは賛成反対が二分するようなテーマをあえて選んで劇的に、テレビカメラを意識した「決断」を演出して、自分に対する支持を盛り上げてきました。
メディアを意識した政治というのは小泉さんに限らず、多くの先進国でみられた現象です。ブッシュも、イタリアのベルルスコーニなどもそうでしょう。ベルルスコーニなどはまさにメディアの親玉ですから、マス・メディアを使って政権を長持ちさせているわけです。
こういうメディア政治は、伝統的な保守政治が伝統的に地盤としてきた支持層を失ったとき、それを補う手法としていわゆる「無党派」の人々への対策として、メディアを利用するというものが考えられます。
小泉政権の特色は、「改革」を強調すること、意識的に改革への抵抗勢力がいるということを強調することです。このことは、どの先進国も共通して財政危機があるため、かつてのように政治はお金を社会の各層にいかに分配するかであるとは言い難くなったということです。
日本も、高度成長時代の政治はいかに政府のお金を分配するかが問題でした。しかし、現在ではそういう分配の政治ではなく、不利益をどう分配するかが問題になってきます。財政赤字が大きな問題になっています。したがって、政府の行うサービスと税の負担をどうするかが究極の問題になっています。
そうすると、従来の政治の争点であると言われた、「大きな政府」なのか、「小さな政府」なのかという選択はほとんど意味がないということになりました。メディア政治による人気者を作りだす手法は、どうやって不利益を社会の各層に分配するかの手法でもあります。
古い、高度成長時代の政治は、分配政治だといえますが、それは政治は一部の政治的エリートに任せておけば間違いないというものでした。少々政治的な腐敗があったとしても、自分の所に利益が分配されれば大きな不満はありませんでした。
しかし、不利益の分配を行う現在の政治においては、人々は「そんな決定がなされたなんて聞いていない」という不満が沸騰します。たとえば後期高齢者健康保険の導入が昨年の4月に行われましたが、多くの国民が「いつそんな制度が国会を通ったのか」という意見を表明しました。
年金問題でも、健康保険問題でも、なんらかの制度改革を行うとき、厚生労働省は一応審議会や諮問委員会を開きますが、そこには学者や財界代表や労組の代表などが招かれますが、普通の老人やフリーターの若者の意見は反映されません。
今の国民の中に、これまでのエリートに任せる政治は「つまらないオヤジたち」に支配された政治に思えてきています。
格差や貧困問題が政治上の大きな争点になってきました。そもそも、小泉政権の最後の一年は格差問題で陰りが出てき始めたわけです。その後、自民党は小泉的な手法が忘れられず、選挙の顔にふさわしいと安倍さんを総理にしました。
しかし、安倍さんは小泉さんほどの役者じゃありませんでした。それが自民党の今の苦境の大きな原因でしょう。
日本では、公職選挙法の縛りがあって、政治家が平場で庶民と話し合い、討論する機会は実はかなり少ない。普通の衆議院議員にしても、選挙戦で戸別訪問は禁止されています。
彼(彼女)が選挙区で接する支持者は、まあ庶民の中でも特別に政治活動に興味がある人でしょう。いわば、半ばプロ的な活動家みたいな人が、議員の後援会を固めています。この人たちが選挙運動をします。
彼らは「××をお願いします」だけで、いったい何を国会でするのかよく分かりません。
もちろん、現在では浮動票が増えていますし、与党でも利益団体の誘導が利かなくなっていますから、政治家も実は内心不安です。だから、世論調査がやたらと重用されたり、政治家によってはそれこそワイドショーなどのテレビ・メディアに露出することで知名度を上げようと努めたりする人も多くなります。
今回のオバマ大統領の勝利は、選挙キャンペーンの面でも大きな変革がなされました。アメリカの大統領選挙のテレビ政治は、ケネディー対ニクソンの1960年の選挙に始まりますが、ブッシュ大統領の選挙顧問であるカール・ローブもテレビ政治を大変重視しました。
しかし、オバマの場合、もちろん選挙の最終局面でゴールデンタイムの番組を買い取ったなんていうこともありましたが、いちばんの特徴はインターネットによる選挙民の組織化です。
インターネット選挙というのは、韓国のノムヒョン前大統領の当選の時から有名になりました。オバマも、選挙民のタイプ別に違った情報を発信し、行動を呼びかけるなどしてインターネットによる双方向選挙運動を行い、政治献金もネットを通じて多くを集めたといいます。
特に若い人たちは、ブッシュ時代の操作されたマスメディア報道に対する不信感があって、若い人々の間にマスメディアの情報は当てにならない、インターネットのほうがより信頼できるという流れができたんだと思います。
韓国でインターネット政治が評判になったとき、では日本でもインターネット政治がどうなるかが話題になりました。しかし、それから何回か日本でも選挙がありましたが、特に大きな変化はありませんでした。
もちろん、韓国のほうがネットが普及しているということがあるのかもしれませんが、どうもそういうハード面の違いだけではなさそうです。
ネットはあくまでも道具なのです。日本の刺身包丁がいいからと言って、アメリカに刺身包丁を持っていってもアメリカ人は刺身を食べるようになるわけではないでしょう。
日本だってネットは相当普及していますし、携帯電話の機能なんかは日本の方がむしろ発達しています。
アメリカでは、選挙民と政治家が戸別訪問をはじめとしたface to faceで向き合う機会が日本に比べて格段に多いわけです。そこにネットという道具が新しく加わったというのが本当でしょう。
ネットが導入されれば選挙が変わるかといえば、そういうものではないのだともいます。これは政治文化の差だと思います。
政治の戦いの場には、地上戦と空中戦があります。空中戦はメディアを使った選挙戦です。地上戦はいわゆるface to faceの選挙キャンペーンですが、この辺が貧困ではいくらネットという道具が導入されても選挙はかわりません。ネットはあくまで地上戦の延長なのです。
時間が来ましたので、本日はこれで終わります。

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