阿武隈川で行われてきた灯篭流しは、川底に放射性物質が蓄積されているということで、灯篭飾りに変更を余儀なくされた。
避難地域の自治体は、防護服を着てお墓詣りをしなければならないという。
除染に5兆円を使うというが、森林や山林に降り注いだ放射性物質は取り除けない。平地を除染しても、山林から放射性物質が流れ出ることを止められるわけではない。
確かに住民の内部被ばくは、チェルノブイリ周辺に比べれば低いだろうが、ウクライナやベラルーシでは農村の人たちは食料を自給しているのに対し、日本ではコメ以外は買って食べる率が高いのだから、想定の範囲内。
福島県や放射線「専門家」の行う「安心・安全」キャンペーンを人々は心底は信じてはいないから、口には出さねど食べ物に気を使っている若い母親が多いのであろう。
人々は「被災者」でなく「被害者」と呼ぶべき。つまり「加害者」がいる。福島原発などと呼ぶべきではなく、東京電力福島原子力発電所と呼ぶべきだろう。
チェルノブイリ事故においては格納容器がなかったために、爆発によって一気に放射性物質が噴出したが、東電福島第一原発においては格納容器はおおむね放射能を封じ込めているという話だった。
福島では確かに格納容器上部は壊れていないが、どうやら下に向かって漏れているということのようで、地下や海水への汚染はまだこれから。一気にではないが、徐々に漏れ出しているということだ。
福島のワタムシの1割に奇形が出て、虫の異常が多くなり、鳥が減っていて生態系異常が心配されているが、県も市町村も国も生態系調査をやる気はないらしい。
福島市内の仮設住宅は平屋建てプレハブ住宅がずらりと並ぶ。年配者が多く、原発事故後2年5カ月も経っていまだに仮設住宅生活を強いられている。
福島市の南の川俣町は、絹の町として羽二重を輸出して栄えていて、日銀の福島支店がこの町にあり、昭和46年までは鉄道もあったという。
いまは学校の体育館まわりに400戸が避難して入居。富士山が見える北限の山がある。
飯館村では、田んぼに稲穂がなく草ぼうぼう。
家という家に人の気配無し。11年3月15日に放射能の雨が降った。計画的避難区域で農作物の作付も禁止されている。あちこちの道が通行止め。
川俣町山木屋でも、人の気配が無し。放射性物質は谷沿いの上昇気流に乗り、木に当たって落下。田んぼには沢山のブルーシートや黒円盤5枚重ね。この除染で出た放射性物質を多量に含む土は行き場がない。空間線量は7μSv、バスの中でも2.3μSv。
葛尾村では住居回り20mは除染された。
道路沿いに掲げられた「除染作業中」の旗とゼネコンの名前が連なる立て看板。田んぼの茶色の塊は減量化してから仮置きする。一日に300tも除染廃棄物が溜まっていく。

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