アメリカでは第二次大戦後、軍産複合体の力が強くなりました。
原子力発電は、軍産複合体が無数に作り続けた核兵器の製造工程を「発電にも使えますよ」という「核の平和利用」の象徴として生まれました。
しかし、「核の平和利用」は思ったよりも進みませんでした。飛行機、自動車のみならず、家庭用の冷暖房や電気製品にまで将来は原子力が「夢のエネルギー」として利用可能になるというオハナシは夢想に終わりました。
結局、原子力の技術は民生用には発電ぐらいしか利用できないということが明らかになりました。
ただ、発電を口実として原発を動かし続ければ、核兵器の原料となるプルトニウムが作れますし、核兵器の製造工程として必要なウラン濃縮の技術も維持発展できます。
そこで、ソ連を恒久的な敵として冷戦を戦っていたアメリカではし、核兵器の大量生産するために各地に原発が建設されました。
ところがこの状況は、1970年代に一変します。
67年にイギリスは中東(スエズ以東)から撤退します。周辺をアラブ諸国に包囲されているイスラエルは、アメリカ政界に影響を与えることでアメリカがイスラエルに有利な中東戦略を採るように工作を行うようになりました。
ところがこれに対して周囲のアラブ諸国は反発し、73年に石油危機が起こる発端になってしまいました。
石油価格が高騰した米国では、石油火力発電の代わりに原発を多用する構想が出てきたものの、原子力発電所建設への反対もあり、79年のスリーマイル島原発事故以前から、建設は下火になっていました。
スリーマイル島原発事故を機に、アメリカ国内では反原発運動が盛り上がり、それ以来今に至るまで国内では原発の新規着工は行われなくなりました。
以来、アメリカは原油の輸入を確保することが政治上の課題になっています。そのため、中東や中南米(ベネズエラ)など産油国を中心に世界の国際政治に介入し続け、イスラエルや軍産複合体の影響の下にあります。
国内で原発が作れなくなったことで、軍産複合体の一部門だった原発産業は仕事を失いました。
その代替策となったのは、日本や西欧など対米従属の同盟諸国にアメリカの技術での原発を売り込むことでした。原発産業が国内で儲からなくなった分を、同盟諸国での商売で取り戻そうとしました。
対米従属が戦後の最重要の国是となっていた日本では、アメリカからの依頼で地震や活断層など、あらゆる危険性を無視しても、70年代、80年代に日本中に原発を増設する道を歩みました。
対米従属の国是と原発の推進は、強く結びついています。
米国の原発2大企業は、ゼネラル・エレクトリック(GEエナジー)とウェスティングハウス(WH)です。しかし、面白いことにいずれも2006〜07年に日本企業に事実上買収されています。
WHは06年に東芝に売却され、GEエナジーは07年に日立との企業連合体(GE日立ニュークリア・エナジー)に変身しました。
東芝の買収額は、WHの企業価値をかなり上回る高値買いだったそうですが、当時は、福島の事故が起こる前ですから、これから中国など新興市場諸国が原発をどんどん建設するという見込みの上で、東芝のWH買収額は高くないと言われました。
しかしよく考えてみると、「原子力ルネサンス」によって、新興諸国の原発建設が増えてWHが儲かるのなら、そもそもWHを外国企業に身売りすることなどなかったはずです。
WHは2000年に英国の国営核燃料会社(BNFL)に買収され、BNFLは6年後に東芝にWHを売却しました。BNFLを所有しているイギリス政府は、WHを買おうとしたとき、新興諸国の原発が増えて儲かると考えました。BNFLはWHと同時にスイスのABBの原発部門も買収しました。
しかし、06年にはイギリス政府は、もはや原発が儲かるビジネスではないと考えて、どこかにいい「カモ」はいないかと探っていたのではないか、と考えていたように思えます。
原発産業は、軍産複合体の傘下にあり、市場経済の原理でなく政治の原理で動く産業です。冷戦崩壊後、9.11をアメリカ経てアメリカは「テロ戦争」の構図を世界的に作って、アメリカを中心とする覇権を維持することが目指されました。
しかし、アメリカの戦略はイラク戦争などの失敗の結果、05年ごろから崩壊し始めます。その上に、08年のリーマンショック以後、米英の経済力の源泉だった債権金融システムも崩壊の危機に直面し、経済面の覇権も脆弱化しました。
オバマ大統領が核兵器の廃絶を究極の目標として掲げたのは、将来アメリカを中心とした覇権が崩れて、多極的な世界秩序が確立した場合、大国だけが核兵器の保有を許される体制は維持できず、核が世界中に拡散することが大きな危機になると見越したからでしょう。
一部の国だけが核兵器保有を許される体制を続ければ、結局のところ、核技術が世界中の国々に漏洩し、世界秩序を壊そうとするでしょう。
従って、すべての核技術を規制しないと意味がないし、核兵器を全廃させるには、核技術の全廃が必須だという結論に至ったのがオバマ演説でした。
もちろん、核廃絶は遠い将来のことではありましょうが、その目標のためにはウラン濃縮やプルトニウム製造といった、核兵器製造と同じ工程を持つ原発産業も、世界的に終了に向かわせていくべきだというのが、論理的な必然になりつつあります。
こういう大きな歴史の流れのなかで、イギリス政府が核燃料会社(BNFL)にWHを00年に買収させて、06年に売却した事実を見てみれば、BNFLがWHを買収した00年は、テロ戦争の開始によってアメリカを中心とした軍産複合体が覇権を維持しようとテロとの戦争を始めた時期にあたり、WHを東芝に売却した06年は、イラク戦争の失敗が明らかになって軍産複合体の力が削がれていった時期にあたります。
米英の強固な連合の一方の当事者でもあったイギリス政府は、アメリカの軍産複合体が力を削がれれば、原発産業も衰退していくことを知っていたのかもしれません。
そこでそんな裏の事情に無知な日本の東芝を丸め込んで、WHを高値で売りつけたのではないかと考えられます。
オバマ大統領の「核のない世界」は当面実現しそうもない、理想を述べただけだというのは正しい。しかし、核の拡散を防ぐためには、究極的には核兵器のみならず、「核の平和利用」も終わらせる必要があると考えているのも確かではないでしょうか。
東芝のWH買収から5年後に福島原発事故が起こったことの意味は、こういう歴史的な文脈の中で考えれば、ずいぶん重いものがあります。問題は、日本政府がそれをどう考えるかですが、冷戦的思考こそが「現実」と考える人がいまだに多いのは困ったことです。

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