フランスの反差別団体「言葉に要注意」の共同代表をつとめるピエール・テヴァニアン氏の講演が10日に一橋大学、11日に東京外国語大学であった。非常に刺激的な話が聞けた。
以下はその一部をメモ書きしたものだが、もちろん内容理解は不十分で、ワタクシの思い違いもあると思うが、こちらのアタマの整理のため、書き起こしておく。文章の責任はすべてワタクシのものであるのであしからず。
それでもまあ、日本の左翼やフェミニストをを自称する人の反省の糧ぐらいにはなるだろうか。
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フランスにおけるイスラム教徒の子女が公立学校においてスカーフを着用することを禁じる立法は、2004年に国会で成立したが、いわゆるスカーフ論争は、1989年、94年、そして2003年に大きな社会問題になった。
スカーフを着用する女子学生を学校から退学させるという強い措置がなされようとすることに、いわゆる左翼陣営も、フェミニストたちも、対応が分かれた。
見方によっては、従来のフェミニスト的言説が、女子生徒の教育を受ける機会排除のために利用され、多くのフェミニストたちがそれを消極的ながらも見過ごしたことは大きな禍根を残した。
スカーフを着用する女子生徒を排除するための理由づけに、次の3つの理由が援用された。
1.いわゆる「郊外」のイスラム教徒が多く住む地域の女性たちは男性に抑圧を受けており、彼女らを保護する必要がある。
2.イスラム教が彼女たちを抑圧する原因であり、そのためにスカーフの着用が強要されている。
3.抑圧を止めさせるために、スカーフの着用を止めさせるべきだ。
この一見女性の権利を擁護する男女平等と、共和国の理念である政教分離の公共の場での徹底という言説は、それ以前はフェミニズムにどう見ても理解を示してはこなかったひとびとが、あたかもフェミニストに改宗したかのような形で表明されたのだが、多くのフェミニストたちがその問題性を指摘することには消極的であったことも事実であった。
多くのフェミニストたちもまた、イスラム教は女性に抑圧的な宗教であり、スカーフを強要されたものであるとの考えを疑わなかった。
しかし、クリスチーヌ・デリフィンのように、このような男性中心的、日和見主義的にわかフェミニズム言説を的確に批判した少数のフェミニストも存在した。彼女たちは、いわゆる「郊外」にも足を運び活動していた新世代のポストコロニアルな活動家ともいえる存在だった。
スカーフ着用禁止を主張する言説への彼女たち少数派フェミニストたちの批判は、以下の3点にまとめられる。
1.スカーフを強要されている少女は確かに存在するにしても、メディアなどに報道されるその数は極めて誇張されている。
2.スカーフを強要する親は存在するにしても、それではその他のフランス人の親は子供に何も強要してはいないのか。例えば、嫌がる子供にピアノのレッスンを強要することも同時に批判しないのはなぜか?なぜ、イスラム教徒の子女のみなのか?
3.仮に禁止法が正しいとしても、それは当事者の少女のためになにか「よいこと」があるのか?
結果として、300人もの女子学生が退学になった。スカーフを着用させた親ではなく、着用していた当事者である少女が学校から放逐され、教育を受ける権利をはく奪された。
そして、社会階層に関わらず、フランス社会には女性への暴力が見られ、それは何も「郊外」のイスラム教徒居住地域に限らないという政府の調査報告書も存在する。
スカーフそのものが女性抑圧の本質であるというような言説は、あきらかに女性解放の名を借りた人種偏見である。そもそも女性が身に着ける衣服の意味付けは、多義的なものであり、当事者の話を聞かないアプローチは問題である。
女性しか身に着けない衣服はなにもイスラム教徒のスカーフにとどまらない。ハイヒールやスカートは問題にされず、イスラム教徒のスカーフのみがなぜ抑圧の象徴とされるのか?
このようなまやかしの「女性解放」の言説を、多くのフェミニストや左翼がたとえ消極的であれ容認してしまったのはなぜか。
それは旧来のフェミニストや左翼が、当事者である少女たちと日常の接点がなく、彼女たちとの社会的な距離感や世代間の差があったため、そこに健全な同情心や共感、経験の同一化がなされず、sisterhoodが構築されなかったためである。そのことが、女性を解放するという名の下における抑圧の正当化をもたらした。
フランス社会は、植民地主義からの脱却が不十分であり、左翼思想もまたそのそしりを免れない。2004年のスカーフ禁止法は、1958年にアルジェリアで、公衆の面前で女性のヴェールを強制的に脱がせる儀式をおこなったフランスの植民地主義メンタリティーがいまだに生き残っていることを示している。
同時にフランス社会の今日のこの問題に見られる驚くべき不寛容さは、イスラム教徒移民の第二世代の、フランス生まれのイスラム教徒たちが、社会の中で無視できない大きな存在になりつつあり、社会的にも活躍する立場に立つ機会を得始めたことに対する、メインストリームのフランス人たちの自身のなさの如実な恐怖の表明であるともいえるのである。

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