日本国憲法の前文は、気に入らない人には日本人からの視点がないとか、文章が翻訳体で親しめないとか言う人もいる。
ただ、人類の普遍性に立った理想主義であることは確かであり、翻訳体であることは、言い換えればそれまで日本語が語り得なかった世界を日本語に導入した結果であるとも言える。
経済的に生活的にも破壊された中で、よくそんな高邁な理想が勝たれたものだという人もいる。
しかしそれは逆かもしれない。
食べるものも不自由だ、経済を立て直す道も前途遼遠。しかし、突然与えられた自由。
そういう中でしか、理想主義の言葉はホントらしく輝かない。
下手に衣食足りている人たちは、とかくに裏を探りたくなる。衣食足らざる人は、逆に理想を語るしか生きる道がない。
では不幸にも(?)衣食足りてしまった社会に生きる人は理想を語れないのかといえば、そんなことはあるまい。
それは歴史を学び、過去の先人が残した文章をじっくり読む中で、時代の状況のなかに生きる理想を発見する特権があるということである。

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