少子高齢化の進行をうけて、日本は人口面からじわりじわりと地盤沈下が進んでいる。
15歳未満の子どもの数が34年連続で減少している。少子化に危機感を感じているかと問われれば感じているという人が大多数だろう。
もちろん人口が減った方が、朝夕の満員電車がすいていいなどというお年寄りがいる。しかし、満員電車がなくなれば鉄道会社は電車の本数を減らして、たとえば新宿から小田原、箱根まで走っている小田急線は成城学園あたりまで、しかも朝夕数本だけ運行になるかもしれない。そういうと、「もうオマエの話は聞きたくない」と急に不機嫌になる。
だが大多数の人はやはり、人口減少に危機感を感じていたり、深刻な問題だと思っていたりする。ところが、ではどうすればよいのかという処方箋の話になると、みんな急に保守的になる。
例えば人口減少への対策として、外国人を移民として受け入れることに、賛成ですか、反対ですかと問われると、圧倒的に反対多数である。
当然、どんなにネオリベ「改革」に熱心な政党、たとえば関西地方の某市長の率いる政党なども、人口対策の柱として移民政策を推進しようなどとという話は聞かない。国民の感情を揺さぶるスピーチで名高いS市長も、さすがに国民の6割以上が反対している政策を公約に掲げると選挙に不利になると考えているようだ。
移民受け入れ賛成に対する警戒感は根強いものがある。
つまり、日本人の仕事が奪われるとか、治安が悪くなるとかいう意見がチラホラし始めるのだ。しかし、こういう人たちは、すでに日本語学校の留学生や、実習生名目の賃金が抑えられた単純労働者がいなければ、コンビニや宅配便会社の荷物の仕分け、さらに野菜作り農家、繊維工業、自動車部品生産工場などが回らなくなる現実を見たくないものとして見ようとしない。
要するに、人口対策として移民受け入れの実行を政治が実行に移す前の段階として、まずは日本人の多数派の意識を変えてもらわなければならないのである。
日本人の多数派は、いやいや自分たちも少子化を克服すべきだと考えていると言う。だから政府も人口が減り続ける中で労働力を確保するためには、女性を活用すべきだと強く主張しているし、高齢者の再雇用はもちろん、高度技術を持った外国人は積極活用すべきだと思っているし、働く女性のために家事労働を援助する外国人の受け入れを特区を設けて試みようとしている、などと主張する。
働く女性の比率をもっと増やすべきだし、働く高齢者の比率をもっと増やすべきだという人も多い。
だが外国人の労働者をもっと受け入れるべきかどうかについては極めて消極的である。
外国人労働者の受け入れ促進について、技能労働実習のように期限付きで日本国内に滞在するケースにも否定的な人は多い。最近、技能実習という名の単純労働力確保であることが暴露されるような報道が多くなされて、世論も否定的に流されてはいる。しかし、現にそういう人がいなければ成り立たない産業が多くなっているとには目を向けることはない。
日本人が全体として、最近ますます外国人嫌いになりつつあるような感じが強くなっている。
外国人観光客(主として中国人)が増加して地方経済も少なからぬ恩恵を受けているし、コンビニやレストランなどで外国人労働者を見かけることは多くなっている。実は彼ら(彼女ら)がいなければ人手不足になる危険が迫っている事実には目をつむる。
もちろん、高齢者の労働力としての積極活用にも進めるべきであろう。
労働力としての女性の活用も必要かも知れない。「活用」という言い方には問題があるにしても、基本的には反対は少ない。しかし、当の女性にしてみれば、女性一人ひとりに産み、育て、働くこと、そして家事の分担までさせようということになると、超人はともかく、並みの能力の持ち主ならば、時間的、物理的、さらには精神的に、追い詰められてしまうのではないか。少なくとも、人は一人の能力には限界がある。
ましてワガクニでは、保育・育児の施設が慢性的に不足している。
社会保障にかかる費用のうち年金や介護といった高齢者向けを減らして保育や育児休業制度などを充実すべきではないかなどと言えば、これは間違いなく外国人移民受け入れと同じくらいの反発を招く。
人口問題は実は予想がしやすい分野である。今生まれた赤ちゃんは20年経てば大人になる。だが分ってはいても、ここまで事態が悪化してしまった。意識変革も遅々として進まない。おそらく、自分の生きている間だけはなんとか今のシステムが存続すればそれでいいと秘かに思っている人が多くて、にっちもさっちもいかなくなっているのであろう。

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