日本国憲法について、その前文には賛否両論がある。
ある人は、人類の理想を表している素晴らしいものだという。
別の人は、特に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という一節が気に入らない。世界情勢は厳しいから、どの国も自分の国益を追求しているのに、そんな甘いことではダメだという。
ワタクシはどう思うか。
正直言って、この発想がどこから出てくるのかよく分らないという感じだった。
しかし、ある人から最近こんなことを聞いて、得心するところがあった。
つまり、この憲法が書かれた当時、国際連合が集団的安全保障を推し進めるために国連軍を常設し、世界をいくつかの地域に分けて、常設の国連軍の拠点を設けることを構想していた。
その中で、東アジア地域の拠点に日本を置くことが考えられていた。
常設の国連軍が置かれる以上、日本が占領終了後に独立を回復するときは、独自の軍事組織は置かないで、警察や海上警備などの自衛的な実力部隊のみを編成するものと考えられていた。
なるほど、そういう背景があるならば、この前文はよく理解できる。
しかしながら、この後の国際情勢は、国連の常備軍を置くような方向には進まなかった。いわゆる東西冷戦で世界はソ連とアメリカの覇権が争われるようになった。
ところで、多くの日本人はいまだに、日本は戦争に負けてアメリカ軍に占領されたと思い込んでいる。
だが実際は、占領したのはアメリカ軍ではなく、連合国である。たまたま日本の場合、連合国を構成するなかでアメリカ軍が担当するところが多かっただけだ。
そして、朝鮮戦争もまた、日本を基地にして北朝鮮、中国と戦闘を行ったのはアメリカ軍というより、アメリカ軍を主力とする国連軍であった。
最近のいわゆる「戦争法案」審議の過程で、いろいろ過去を振り返る機会があり、そのなかでハタと気がついたのは、国連と連合国は同じモノだということだ。
第一次世界大戦が世界規模の大戦争になったのは、各国が同盟関係を結んで、二国間の争いに介入していったからである。
いわゆる、集団的自衛権を各国が推進し、世界中が軍事同盟で色分けされたからである。
その反省に立って、国際連盟が創設され、国家同士の武力を伴った国際紛争には集団的自衛で対処するのではなく、国際機関による介入と仲介による集団的自衛の措置で対処するように試みられた。
だが、もともとそれを提唱したアメリカ大統領のウイルソンの考えが、本国の議会で承認されず、アメリカが国際連盟には参加しないことになった。
結局、国際連盟の主導する集団的自衛の方法は成功せず、日本が国際連盟を脱退するに至って、世界は連合国と日本、ドイツ、イタリアなどによる枢軸国の世界戦争へと突入した。
その反省に立って、国際連合は、国際連盟が参加国の全会一致による意思決定をしようとしたのに対し、いわゆる五大国を常任理事国にして最終的な責任を持つ集団的安全保障を再構築しようとした。
ところがアメリカは、国際連合の中心となるべき存在であるにもかかわらず、集団的安全保障に自らの主権の一部を委ねることに懐疑的で、世界中の国々とアメリカによる同盟関係を張り巡らせる道を選好した。
つまり、集団的安全保障よりも集団的自衛権を選択したのである。
自衛隊が警察予備隊として発足した経緯は、ソビエトが欠席中に編成されたアメリカ軍主体の国連軍が朝鮮半島で戦闘を行う事態に対応し、防衛体制が手薄になる日本の領土と領海を防衛するためであった。
警察予備隊が発足した時点で政府は憲法解釈を変えたのに、今回の安保法制で憲法解釈を変えたことを騒ぐのは護憲派の自己欺瞞だという意見があるが、警察予備隊発足にあたって政府は憲法解釈を変えたわけではあるまい。
日本の憲法の成立の経緯を考えれば、個別的自衛権は否定していないが、集団的自衛権は容認していないのであって、国際機関による集団安全保障に参加し、最大限協力するというのが本筋である。
ただし、警察予備隊発足のときはまだ占領下にあったから、個別的自衛権も占領軍(連合国軍)に委ねていた。
そして独立回復のときになって、本来国連の集団安全保障に協力するはずの日本は、憲法の上にアメリカ軍を頂く形で、国連への協力がアメリカ軍への協力にすり替わってしまったのだと考えられる。

0