以下の情報は、「PRESIDENT Online 2015年12月25日 辺野古代執行訴訟「国が勝つことは決まっている」黒木 亮」によっている。黒木氏は『法服の王国』で司法の世界、特に原発裁判の裏側を小説に描いたことで知られている。
沖縄県知事が辺野古の埋め立て承認を取り消したことに対する代執行訴訟。
地裁では、結局国が勝ち、知事に代わって承認取り消しを撤回するという判決が出た。
しかし、この種の裁判は最初から国が勝つと決まっているようだ。
この種の、とは米軍基地や原発などの国策訴訟である。
仮に地裁で勝っても、高裁では国側が勝つ。そして最高裁では憲法に触れるような論点をできるだけ避ける場合がほとんど。
しかも今回は、裁判を担当する福岡高裁那覇支部の裁判長(那覇支部長)に行政寄りの裁判官が任命された。
裁判長の多見谷寿郎(57歳、司法修習36期)は、代執行訴訟が提起される18日前に、東京地裁立川支部の部総括判事(裁判長)から福岡高裁那覇支部長に異動している。
この転勤が普通と違うのは、多見谷の立川支部の部総括判事の在任期間が1年2カ月と妙に短いことに着目すべきだろう。
裁判官の異動は通常3年ごとで、高裁の陪席判事と違って、現場の指揮官である地裁の裁判長を急に動かすと現場が混乱する。
多見谷は、立川支部の前は東京高裁の陪席判事(約4カ月)だったため、本来なら立川支部を経ずに那覇に持ってくるものであろう。
そして、前任の須田啓之(修習34期)はわずか1年で那覇支部長を終えて宮崎地家裁の所長に転じた。これも短すぎる。
最高裁によれば、この異動は、他県の裁判所で退職者が出たことに対応する人事だとしている。
宮崎地家裁所長の市川正巳(62歳、修習30期)が退職し、福岡高裁那覇支部長だった須田が後任になり、その後任が多見谷氏ということになっている。
市川が、年収2千数百万円という地家裁所長の職をなげうって、定年(65歳)前に退官するのは、公証人になるためだろうという。
公証人は、働く公証役場の場所次第だが、地家裁所長に匹敵する収入を得られ、定年は70歳。
しかし、63歳までにならなくてはいけないという慣行がある。
市川の退職理由はともかく、須田の後任が多見谷しかありえなかったかというと、そうでもない。
多見谷と同じ修習36期で裁判官に任官したのは59人。そのうちすでに辞めたり、死亡したりした者が17人、地裁所長や同等の職位にある者が10人強で、ここからさらに刑事裁判官や直近に異動した者を除くと、15人程度が須田の後任になりうる。
その中には多見谷よりも長く現在の職場にいる者が8人ほどいる。さらにいえば36期だけでなく、34、35、37期にも適任者はいるはずだ。
多見谷は、平成22年4月から同26年3月まで千葉地裁の裁判長を務め、行政(およびそれに準ずる組織)が当事者となった裁判を数多く手がけてきた。
新聞で報じられた判決を見る限り、9割がた行政を勝たせている。その中には、国営の成田国際空港会社が反対派農民の土地明け渡しを求めた国策色の強い裁判もあった。
過去、国策裁判で意図的な裁判官人事が行われたと見られる例としては、昭和45年に新潟地裁で始まり、自衛隊の合憲性が争われた小西空曹事件がある。
東京地裁から藤野英一裁判官が送り込まれた。
札幌地裁が1審判決(昭和48年)で自衛隊を違憲と断じた長沼ナイキ訴訟では、控訴審の裁判長として小河80次横浜地裁部総括判事が札幌高裁に送り込まれ、悪名高い「長沼シフト」が敷かれた。
伊方原発訴訟(松山地裁)では昭和52年の結審直前に、訴訟を担当していた合議体の村上悦雄裁判長と左陪席の岡部信也裁判官が2人揃って突然異動になった。
これら裁判では、国、検察、電力会社の「国策側」が勝っている。
第二次安倍政権は、安全保障関連法案を成立させるために、内閣法制局長官に集団的自衛権推進派の小松一郎氏を持ってくる人事を行った。

0