この本は1963年に出版されたものだが、今でも版を重ねている。さすがに知識がコンパクトにまとまっているように思う。ただし、最近では細かい研究も進んでいるから、ひょっとしたら小さな事実誤認ぐらいはあるのかもしれないが、それは置いておく。というより、アタクシの実力を超えた話である。
それはそれとして、アタシは林センセイの以下のローザ・ルクセンブルグについての見解に思わず目が留まった。これは、保守主義者としての林センセイの社会主義というか共産主義批判の結晶みたいなものなのかもしれないが、同時に若き日に共産主義にシンパシーを抱いたことのある自分への反省みたいなものすら感じた・・・、などといってはうがち過ぎでしょうか?
彼女(ローザ・ルクセンブルグ)のロシア革命への批判はたしかに彼女の民主主義的欲求と人道主義的心情を表すものであるが、彼女が労兵協議会の独裁を主張しながら背後からそれに方向を与える一政党の独裁を否定したことは、実は不可能事を求めることであった。ここで彼女の思想の底にあったのは、大衆の「自発性」へのほとんど宗教的ともいうべき信頼である。しかもこの自発性とは、大衆が必ず革命化して彼女の望むような社会主義を実現するであろうというきわめて独断的なものである。この独断性はレーニンにも共通するものであるが、ただレーニンは、彼の主張が反対者を力をもって圧伏するのでなければ実現しないことを知っていた。そしてこの点においてはレーニンのほうが正しかったというべきであろう。何となれば、ある一つの思想を宣伝すれば、それと異なった立場のものが反対の宣伝をすることは当然である。そして11月以降のドイツ労兵協議会の状態は、スパルタスク団の支持者が彼らのあいだでいかに少ないかを証明した。そのなかで彼らの主張を貫徹しようとすれば、それはレーニンのような暴力的方法によるほかはなかったであろう。
ルクセンブルグがその生涯の最後において、かつてのレーニンへの批判を撤回する気になっていたか否かはーーーそれはレーニンとルクセンブルグの双方を賛美しようとする人が主張するところであるがーーー史料の不足によってか確認し得ぬところである。ただ彼女が最後まで大衆への宗教的信仰を持ち続けたことは確かであった。その信仰はマルクスの必然論に由来するものであるが、それは今日の眼から見ればひとつの幻想であったことは明らかである。ルクセンブルグが犀利な理論的頭脳と主義に殉ずる高邁な精神と、そしてその私信に表れたような優しい女性的感情をともに備えたたぐい稀な人物であったことはたしかであるが、畢竟彼女は幻想に生きて幻想に死んだ悲劇のヒロインであった。
(林健太郎「ワイマル共和国 ヒトラーを出現させたもの」中公親書p42〜43)
吉本隆明は大衆をこう言っている。
「生涯のうちに、じぶんの職場と家をつなぐ生活圏を離れることもできないし、離れようともしないで、どんな支配にたいしても無関心に無自覚にゆれるように生活し、死ぬというところに。大衆の「ナショナリズム」の核があるとすれば、これこそが、どのような政治人よりも重たく存在しているものとして思想化に価する。ここに「自立」主義の基盤がある。」(「日本のナショナリズム」)
吉本は、戦後思想批判の切り札として「大衆」とか「大衆の原像」を切る。
要するに、「現に生活し、明日も生活するということだけが重要」な(即自的生活者)ということである。
あらゆる「戦後民主主義的政治集団」が政治的に無力なのはもちろん、「自由民主主義」を掲げる政治集団に本当に政権担当能力もあるいは戦争遂行能力もあるわけがない。あるのは、「資本主義同盟」か「社会主義」国家同盟に面従腹背するくらいしかできない。
「かれらはただの一度も大衆の原像にせまり、これを自己思想に繰り込むという課題を真剣に自己に課したことはないからだ。」
吉本のいうことは、戦後日本の知識階級批判として発言されている。しかしあまり厳密に定義されたものではないところが、まさに彼の天下無敵な「大衆論」のようである。もしかして、彼にとって「大衆」は神なのかもしれない。
ではそれは、ローザ・ルクセンブルグにとって大衆が宗教的幻想として捉えられていたことと、どうちがうのだろうか。
アタシはもちろん、それほど「大衆」を信じられない。ローザ・ルクセンブルグのように大衆を信じれば、大衆はもちろん社会主義への自発性などは持っていないから、期待は裏切られ、殺されるかもしれない。
だが、信じるとは、まさに論理を超えて信じるということだからねえ。

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