ドラマのBGMでTANGO。恋/菅原洋一だと思う。TANGOのリズムってキューとしまってく意思が強く感じられていい。ル・クンパルシータは後半の泣きの部分が好きだけど、そこに行き着くまでのメロに集中を感じるのだ。大江健三郎の中にシモーヌ・ヴェイユいわく人間に大切な事は神への祈りの注意力だと、価値ある人間とは、芸術家に求められることは、陳列されたものをいかに注意力をもって見落とさずいつづけられるか。大江は自分の息子のことを思いつつ講演会で語っているのだが、この部分だけ読んでも凡人にもちょびっとワカル、気がした。集中ということ。そこから見えるもの、見えてから先に進むという事。なんとなくではなく、と、いうこと。それはもう各自の内的向上であるはずであり、それ以外じゃないけど、そんな各自が複数になった時の複数集中は、それこそパラダイスてか地獄のような濃さを携えてはいると思う。だが日常のヒトとのやり取りに際してだと、何かしら思うところがあるとき、ふと、解らなくなる事がある。なにか一点についての集中というのと、こうなったらこうなり、こうなった先ああだったらこうなる、とか、対象が人間だとむづかしい。そんなこたあ話せばいいじゃん、と、なるなら問題にはしないのだ。話しても話しても予想外の事って起こる。それはその対象に関しての甘えなんだか理想なんだか。どう判断すれば、いつ判断下すんだか?今、ちょっと考え中なのだ。多分大江慎也じゃなく健三郎はそんなこたあ判断基準はもう決めちゃってて迷ってるひまなんてないというだろう。

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