あーあ、武蔵負けちゃったー。でもいい試合だったと思うのでよし。あとで調べたら曙また負けちゃったらしいけどなんかもうキッツイな。こうなったら勝つまでやるしかないっしょ。止めたら終わりじゃ。しかし話し変わって、あーあなたかわいそうだねーと泣かれるのとあなたは幸せよーとキッツイ顔で言われるのってどうなんだろー?ウルルン見てて思った。相手は外国の人でじぶんのことを全く知らないんだけど、だからそしてよその土地だから価値観も違うんだけど凄く心配そうに泣いてるおじいちゃんはホントに気の毒に思って泣いたんだろう、そう見えてやさしいなーありがたいなーと思った。でもその辺のヒトだったらおんなじようにありがたいかなー?あとでふとそんなにアンタから見てワシって惨めかい?とおもってこっちが泣きたくなるかもしれないな。その反対に幸せに見えるということに関しては、こっちの苦労も知らないデー!とかえっていってくれた言葉の裏を思う事ってあるなー。多いかも。全く環境の違うヒトに言われる事なら素直に感覚で対応するしかない、言葉がわかんないだけ表情のその奥を見ようとする、しかない。そんなこと思うと実は日常も、なんとなく表面上とかで良くも悪くもやり過ごしてはいないか?もっと注意深く発せられた言葉の芯をみつめなくっちゃな、と思った。そして精神力を鍛えるのは集団の中で肉体を追い込み一山越してそのさきに残るヒトとの繋がりなんだな、とおもうのでした。

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