高校もとき、ある日担任におまえは時々ため息をつく、周りに迷惑だ、といわれた。
全く意識してなかった。
ショックだった。
最近ふとため息の多い自分に気付き、はたと思い出したのだった。
しかし、実は最近のはちょびっと意図的でもある。
なんか気持ちの悪い、気、のようなもので胸の中が充満し、それを一機に押し出す。または気持ちの入れ替え時、例えば扉を開く、一段取りが終わる、等等まあやはり自己リフレッシュ。
けどもしかしてヒトのいるところではやんないほうがいいのかも。
吐いた「気」は周りにも影響し、回りまわって自分に帰る。野放しな私はなかなかこの手の細かいことに抑圧を感じる事がある。
歩く。前のヒトの歩くのテンポが妙におんなじなとき、距離感が気になる。ある一定の距離圏内だとダメなのだ。
ひとのひとこと、ひっかかっちまったらなかなか離れない。
ついでに過去にまでさかのぼってしまう。
そして自己内でジクジク。
そんなとき、頭の奥、遠くから鳴る
『○○○ダイジョウブ〜』
↑3文字忘れた(だけど?だったかな)歌詞があってダイジョウブーと続く。
多分松尾スズキだったと思うんだが、鼻歌よろしくニヤニヤと歌うのだ。
何の映画でだったかが思い出せなくて
大変悔しいのだがすんごくユルい感じで、
頭から離れない。
ダイジョウブなんだかダイジョウブじゃないんだか歌ってる本人もあんまりダイジョウブではなさそうなんだけど
結果まぁ、いっかーと言う気分になるのだ。
返す返す悔しい。
も一回見たい。
「図鑑に載ってない虫」だったかなぁ?
そうだ、なんだか暮らしが全体的に短距離走なイメージなんだな。
だからしょっちゅう息切れがするんだ。
飽きるし、やんなるし、疲れやすい。
全力だからいいってもんじゃないんだ。
やっぱ長期展望っつーか、よく人生をマラソンのごとく言うが
距離を読めよー。配分せよ。
死ぬまでを想定すると現在抱えてる病があるでなし、ちゃんと自己配分をしないと!
こないだ誰だったか、マラソンを走った事がないランナーがしくったみたいだ。
嗚呼ダメだ、と思ったら即、取り返しがつかない気になってしまう。
けど長距離ってそんなもんじゃないんだな。そこで捨てたら単なる負けなのだ。
山あり谷ありとは良く言ったもんだ。
そうふりかえれる余裕、もしくは先を信じる度量を持とう。
なーんかつまんないことを書いてしまった。

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