TVっ子の私の今期のドラマ、ふと気づいた。
「白い春」元犯罪者のリハビリ生活
「アイシテル」殺した子の家族と殺された子の家族
「スマイル」なにやら過去に事情のあった人の集まりで
「僕の妹」落っこちた女の犯人じゃないけど僕がやったんだなぞとカラマーゾフの兄弟みたいなことを言い出す兄とキッツイ妹。
なんだかなー、みごと犯罪絡みなラインナップ。
もしかしてと身につまされるなら「僕の妹」か。
思いもよらずに巻き込まれるってことはないとは言えん。
というより、そんなこといちいち考えてみてるわけじゃなく、ドラマの観賞決定点は出演者、及び郡だ。
オダギリジョーがこのドラマ放送前にインタビューで
映画はやりたいことでドラマは生活のためだ
ときっぱり言っっていた。
おおなんと言う正直者なのだ!そんなとこも好きだぞジョーとなり、働き者のオダギリ君に感謝。
このドラマ、そんなオダギリくんのやってる兄の心の声チックな台詞というかナレーションというかがすごくイイ。しかもとても丁寧で正直な人柄にオダギリはハマる。
やってもいないことをやったと言われ、訳もなく?憎まれるなんて。
さっさと忘れよう、無関係な生活に戻ろう、それにしてもムカついてムカついてかなり尾を引きまくるだろうな。
確かに金貸してとは言われ貸さなかった、しかしそれと死ぬこと、自殺?他殺?そんなもの自分には関係ありゃせんでしょう、となってジ・エンド。
いくら身内が絡んでたって、それなら尚のこと身内ごとより遠くへ離れたいと思うんじゃないかな。
それが巻き込まれるままに他者と関わりを持ってみようと、または意思にかかわりなくその方向へシフトとは。
そうなると、全く展開が変わってしまう。というかそれが、そこからがこのドラマでありこのおにいちゃんというヒトとなりなんだろう。
今後ドラマはジュニアのいい人さとかも出てきたりして、疎遠だった昔の患者の大滝秀治の生活にもオダギリ君は関与してくんだろう。
彼が選んだ厄介な関わりは、それは彼の生まれ持ったタチなのかもしれないけど
そういうヒトの感情のヒダに引っかかってくることの一つ一つがドラマチックだ。
思考、関わりをやめるか続けるか
なんでなんだ?
もしかしてこうだったら?
このドラマはこういうケースです、という提示に思うことは
こんなヒトもいるなんて、ちょっといつもと違った考え方をしてみようかい?という発見でありしかしまた一つのことをひつこく考えていくと、結果フラットな答えにしか行き着けなくなる。そっちもありだな、というふうに。
そうなんだよな、このドラマは感情のこの「過程」が出てるってとこなんだ。
日常では不可能な自分のナレーターが同伴ということ。
結果フラットなものもそこに行き着くまでがまさしくドラマなんだがそこはいちいち説明されない、できないことなんだ。
まあ今後キッツイ妹も妹なりのイイヒトな部分なんかが出てきたりして視聴者を
いやー、最初はすっごくムカついたんだけどやっぱ長澤まさみってかわいいよねーとなるんかもしれんがそんなことより私はおにいちゃんのほうのカラマーゾフ的感情のヒダを今後も見つめて自分をどう落とし前つけるか見届けたい。

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