俺が戰後の國語政策に大反對である理由は――先づ第一に非民主的な方法で強行され・國民に押附けられたからで、第二に國是と極附けられ・誤か何うかの判定を受けないまゝ存續してゐるからだ。俺が現行憲法に大反對である理由は――先づ第一に非民主的な方法で強行され・國民に押附けられたからで、第二に國是と極附けられ・誤か何うかの判定を受けないまゝ存續してゐるからだ。 國語の表記にしても憲法にしても、それ自體として原理的に・同時に民主主義や法治主義の立場から言つても、正統性を維持する事が極めて重要である訣だが、日本人はそれが全く解つてをらず、惡しき功利主義・惡しき現實主義に基いて一度行はれた「變更」を無條件で受容れてしまつてゐる。が、それは大變に危險な事だ。正統性を無視して・非民主的な手段で行はれた過去の「變更」を肯定する事は、將來再び非民主的な何等かの「變更」が現行の制度なり何なりに加へられようとした時、それを容認する根據(既に前例がある!)を提供する事になる。制度それ自體の維持にしても、或はその變更にしても、妥當な根據を用意しておくのは、無法な暴力主義に對抗する權威を確立する事になる。 「闇黒日記」 平成十八年十一月二十八日 より転載 |
文學に於て問題になるのは、登場人物を如何に人間として人間らしく正確に描いてゐるかであつて(文藝において「道徳的に正しい」とは「人物を人間的に正確に描いてゐる」と云ふ事だ)、作者の意圖とか趣味とか、或は作者が扱はうとしたテーマではない 闇黒日記 平成十八年十一月二十三日 より一部引用 |