野嵜健秀氏がネットから遁走した後、松原信者群からの期待を一身に集めるのが木村貴氏である。
その木村氏は、常日頃から「法と道徳の峻別」をお説きになっておられます。
そんな木村氏が、こんな事を書いている。
前田氏は「(原則として)惡法も法なり」と云ふ理解をお持ちのやうだ。ところで前田氏は、自分自身の價値觀と異なる法律が成立した時も「法律なのだから從へ」と同じやうに云へるのだらうか。さうは思へない。前田氏にとつて法律とは、自分が信奉する道徳的價値觀を盛込んだものであるべきなのだから。ユダヤ人虐殺は、當時のドイツ國内では合法だつた。この一事を以てしても、「惡法も法なり」と云ふ考へ方が誤りであり、「惡法は法に非ず」と云ふ考へ方こそ正しいと私は思ふ。
「地獄の箴言」「49の惡と51の善」より一部転載
あれほど「法と道徳の峻別」を説いていたはずの木村氏が、法と道徳を混同しているという、世にも奇妙な物語。
教育基本法であれ、自民党(経団連・アメリカ)が躍起になって推し進めてるホワイトカラー・エグゼンプションであれ、ユダヤ人虐殺であれ、法は法なのであり、法案が通れば法的には正義になるのである。
法を最高の道徳とする考え方に依れば、これらの悪法も道徳的正義になってしまう。
そうならない為にも法と道徳の峻別が必要である、と唱えていたのが木村氏だったはずなのに、「惡法は法に非ず」などと宣うのは二重基準も甚だしい。
法と道徳の峻別を唱えるものならば、「
悪法も法なり、されど道徳的には悪なり」と主張すべきである。
憎い前田嘉則氏を叩くためならば、持論を平然と抛棄して顧みない。
それが松原信者クオリティ。

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