福田恆存の初期の論文に「一匹と九十九匹と」というものがある。
有名な論文なんで、ここを見に来る人にとっては釈迦に説法になると思うけど、一応解説すると、この論文で福田は政治と文学(道徳ではない)を峻別(あんまりこの語句使いたくないなぁ)すべきであると説いている。
政治の論理というものは、非常に非情なものである。
政治の論理は、九十九匹と一匹ならば迷わず九十九匹のほうを選ぶ。大を生かす為ならば、小を犠牲にしても厭わない、それが政治というものだ。
政治が救わない一匹は、何によって救われるか?
文学(くどいようだが道徳ではない)によってこそ救われる、と福田はこの論文で述べている。
木村氏は、道徳は政治に優先されると言った。
しかし自分は、政治に属する問題に関してはその限りではないと考える。政治とは九十九匹(善良なる民衆)の利益ためにあるのであり、それを守るためには敢えて没道徳的な行為も行わなければならない。
徳川三百年の平和は、徳川家康による殺戮と謀略の果てに完成された事実から目をそらしてはならないだろう。
たしかに政治が道徳的であれかしと自分も思わないでもないが、九十九匹の利益を損じてまで道徳を追求すべきではない。
最後に書くが、文学と道徳は全く別のものである。
なぜなら道徳とは九十九匹にも一匹にも必要なものであり、文学と道徳を同一のものだとすれば、道徳は九十九匹にとって必要のないものとなってしまうからだ。

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