以前、当ブログで福田恆存の「一匹と九十九匹と」について書いた所、松原信者の取り巻きからこのような批判を頂いた。
投稿者:越後野馬鹿太郎(仮名)
2008/3/7 20:40
「一匹と九十九匹と」というタイトルは、もとは聖書の一節であり、「99匹の羊を放置してでもさ迷える1匹の羊を探す人は幸いである」という道徳の話である。また聖書は「人はパンのみにて生くるにあらず」と説いている。「人はパンさえあれば生きていける、いや人はパンのためだけに生きるべきだ!」と説く喜六郎は不幸である。
自分が何時「人はパンのためだけに生きるべきだ!」などと書いたのだろうか?
詐術はやめてもらいたいものだ。
自分は「人はパンのためだけに生きるべき」だとは思わない。そもそも、そんなこと思っているんだったら、ブログなんて開設しないし。
越後野馬鹿太郎(仮名)に限らず福田恆存や松原正氏の信奉者には、政治および政治によって保証される民衆レベルの生活(いわゆるパンの問題)を非常に軽視する傾向が強い。
前田嘉則氏も、去年の参院選での自民党惨敗から安倍政権崩壊までの流れについて「パン(生活)とサーカス(芸能)にしか興味がない国民は馬鹿」と主張した。
「人はパンのみに生きるに非ず」と言えるのは、パンが満ち足りてる人達だけであり、パンが足りなくなれば人はパンのことを何よりも最優先せざるを得ないのは当然である。
自分だって本を読んだり、こんなブログをやってたりするのは、現状ではパンが一応足りているからであり、パンが食えなくなったらパンの問題を最優先するだろう。
人は
パンが満ち足りていなければ、パン以外のことは考えられない生き物なのである。
だから自分は、ウヨクであれサヨクであれ、パンの問題を無視した議論に与する積もりはないのである。

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