リバタリアニズムを通り越してアナーキズムへとまっしぐらに突き進む木村貴氏であるが、最近また性懲りもなく珍妙な「論理」とやらを吐き出してご満悦なようなんで、一応その出鱈目さを指摘しておく。
つまり、脱走兵となる自由を認める戰爭でなければ、道徳的とはなり得ないのである。
『地獄の箴言』の記事「脱走兵の自由」から一部引用
このブログを訪れる人はご存じの通り、木村氏は普段から「政治と道徳の峻別」を念仏のように唱えている。
その木村氏が、事もあろうに「政治」の領域に属する「戦争」に「道徳」を持ち込む愚(政治と道徳の混同)を平然と行っているのである。
「戦争」とは外交の一手段なわけだから、当然ながら「戦争」とは「政治」なのである。
自分は政治に道徳を求めるのは非常に危険であると考える。
なぜならば、政治とは内政であれ、外交であれ、何よりも国益を守るためにあるのであり、国益と道徳は必ずしも両立しないからである。
政治の世界では、国益を守るためには非道徳な行為も敢えて行わなければならない事もある。「戦争」とは、その最たるものであろう。
道徳に拘泥して国益を損じるような政治は、三流以下の政治である。
しかし、あれだけ「政治と道徳を峻別せよ!」と常日頃唱えてる木村氏自身が、「政治と道徳の峻別」を全く理解していないというのは、なんとも奇怪な話である。

0