周知の通り、福田恆存は国語問題に心血を注いだ人である。
国語改革を激しく論難し、旧字旧仮名遣いの復興を主張した人である。
それゆえ福田の愛読者の中には、旧字旧かなを使わぬ者は真の福田読者に非ずと極論を唱える者もいる。
しかし私は旧字旧かなを使わない。
もちろん、それにはそれだけの理由がある。
理由その1。
私は戦後の「間違った」国語教育を受けてきた人間である。
自分にとって旧字旧かなは異文化である。福田恆存のように「旧字旧かなは日本の伝統である」とは決して声を大にして言えない。
旧字旧かなが新字新かなよりも「論理的」であるというのは事実なのかも知れないが、それだけで安易に乗り換えるのは軽佻浮薄だなと思う。
理由その2。
私はネット上で旧かなを実践することが、旧字旧かなを守ることには繋がらないと考えている。
旧字旧かな論者の中には、旧字旧かなの正統性を訴える一方で、アニメやゲームなどの話題を嬉々としてする連中も少なくないが、ああいう行為は旧字旧かなを単なるオタク的アイテムに堕落させる事にしかならないだろう。
「正しい主張」を読み手に正しく理解させるには、それ相応の心構えが必要だ。
悪いのはオタクばかりではない。
オタクをも含んだ、ネット上の旧字旧かな論者に共通して見られる特権意識と大多数の人達への差別意識が非常に不快なのである。
旧字旧かなというのは、視覚的にも非常に分かり易いツールだと思う。
習得するのも外国語ほどには難しくないし、旧字旧かなで書くといかにも権威的で高尚なイメージを文章に与えることができるから。
旧字旧かなほど、
チンケな文章を知的に見せるのに都合の良いアイテムはない。
坪内祐三氏の例の「コスプレ」発言は言い得て妙である。

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