小泉純一郎が熱心に推し進めた、皇室典範改正。
当然ながらそれをめぐって激しい論争が巻き起こった。
この論争の争点は、いわゆる「女系天皇」の是非である。
この論争が特徴的だったのは、「女系天皇容認=民主的」だと思いこむサヨク系の論客のみならず、田中卓氏や高森明勅氏など尊皇心に篤いとされる保守系の論客までもが女系天皇容認派に回ったことである。
その中の一人に、我らが松原正氏がいる。
男性の世継ぎがすべて死ぬという事態すら起こるかも知れぬ。だが、その場合も、日本が「天皇制」を止めてしまふ事にだけは決してならない。最悪の場合、女性が天皇として選ばれる事もある。神武天皇以来の「天皇制」の歴史の中にも女性の天皇がある。第三十三代の推古天皇は女性である。
(「正論」08年10月号 松原正「西尾幹二に直言する」より一部転載)
女系天皇容認派の中には「女性天皇」と「女系天皇」の区別が付かない人が多いが、松原正氏もその例に漏れない。
「女性天皇」というのは、単に女性の天皇のことであり、松原氏の言うとおり歴史上に何人かの女性の天皇は存在した。
だが「女系天皇」というのは、単なる女性の天皇という意味ではない。父方では血は繋がらず、母方で血が繋がる天皇の事である。ゆえに男性の天皇であっても父方で皇室と血が繋がっていなければ、その天皇は「女系天皇」となる。
松原氏が例に挙げた推古天皇もそうであるが、「女性天皇」の次は必ず男系の皇族が皇位を継いでおり、「女性天皇」の子孫が皇位を継いだ例は一つもない。
奈良時代以降になると、女性の天皇は処女(本当に処女であったかどうかは定かでない)であるべきという暗黙のルールが出来上がる。
何故そういうルールが成立したのかは言うまでもないことだろう。
つまり、「女性天皇」は歴史上存在したが、「女系天皇」が誕生した例は歴史上一度もない。
松原氏は「女性天皇」と「女系天皇」の区別も付かないのに、よくもまぁ西尾幹二氏を居丈高に非難できるなと、その「勇気」には感服せざるを得ない。

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