いつものようにささいな事からひどい暴力に発展しました。母をひきずり倒し、髪の毛をわしづかみにして、引きずりまわし、何十発も何十発も殴り蹴りつづけました。髪の毛はいつも束になって抜けました。暴力が終わった後に、母が自分の髪の毛を引っ張って抜けた毛をごみ箱に捨てるシーンを見るのは、母の辛さが伝わってくるようで死ぬほど辛かったのです。その日は、兄は最後に母の顔面向かって、弁当箱をおもいっきり投げつけました。それは、母の鼻の上あたりに命中して、その結果母の顔面は、見るも無残に腫れ上がり、人の前にとても出る事が出来ない顔になってしまいました。「お母さん痛かったかな、こんな顔になって辛いやろな、いつまでこんな状態が続くんやろ、地獄や、助けて・・・」こんな思いでいっぱいでした。母は、兄が暴力振るっている事を世間に家庭の恥だと隠していました。だから当然その顔で外を出歩く事は出来なかったので、腫れが引くまで家の中で過ごさねばならなかったわけです。ところが、洗濯物を干すのにどうしても庭にでる必要があったのです。その時隣近所の人達にみつからないか、私は心配で心配でたまりませんでした。世間に隠している母がそんな姿を人に見られたら、きっと辛い思いをすると思ったのです。私は、母が辛い思いをするのが何より苦しかったし、辛かったのです。「見つかりませんように」と、ドキドキしながら母が洗濯物を干している間祈っていました。こんな状態が毎日続いて私は、もう神経が擦り減り「神経もたないわ、限界や誰か助けて〜」と心の中で悲痛の叫びをあげるようにっていました。そんな時中3の担任の先生に、話しをする機会がありました。話せそうな雰囲気があったので
「母の顔に弁当箱があたって腫れて・・・」
(深刻なのに、そんな雰囲気を微塵もだせずに、明るい調子で)
話しをしました。
「何で弁当箱なんか顔にあたるの?」
「・・・・・・・・・・・」
だいぶ間をあけてから、蚊のなくような声で、
「・・・兄が投げて・・・」
その後 何か2,3言話しをして、
「お兄さんひょっとして家庭内暴力?」
「・・・・それに近いもんがあるかも」
深刻さが先生に伝わらないように、振る舞い、
「近いもん」
って言い方をするのが精一杯だったのです。本当は、この時
「先生助けて、誰も相談する人がいないねん、ほんと助けて〜兄は、もうひどい家庭内暴力の状態で、母がどうにかされちゃうかもしれへんねん。このままやったら家庭崩壊だよ。もう神経もたへんねん。限界だよ。」
って言いたかったのです。
「私の力でどうすることもできひんねん・・・・助けて・・・」
って言いたかったのです。最後に先生は、
「また何かあったらいつでも話してね」
で、終わってしまいました。せっかく助けを求めるチャンスでしたが、私には出来ませんでした。母が世間に隠していたので、私も隠しつづけなければいけないという思いがあったのです。また、自身も当然家の恥を世間にさらしてはいけないと子供心に思いこんでいました。そしてこんな事を外の人に話してしまうと、世間に知られてしまって母がもっと悲しむ事になるという思いもあったのです。それに相談してもたぶん状況は変わらないだろうなという絶望のような気持ちもありました。それは、新聞などで、家庭内暴力の話しが出ていても、いろんなところに相談に行っても、変わらなかったという話しをいっぱい読み聞きして、知っていたからです。でも、それよりなにより一番怖かったのは、私が誰かに助けを求めることによって、もし家庭内にその相談した人等が介入してきた場合、それを知った兄が、もっと暴れる事になるのではないかと恐ろしかったのです。

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