少し前に私は、自分が強迫性障害だという事は、極めて初期の段階で分かっていたと書きました。
繰り返しになりますが、父が医療関係の仕事だったため、病気に対する記述の雑誌等が家に多数あり、強迫性障害の覧を、たまたま目にした事から、自分で分かっていたのです。
他の方たちの話を伺っていると、自分のわけの分からない状態に苦しみ、かなり進んだ段階で、探し回ってやっと、この強迫性障害という名前に辿りつくという感じが多いように思うのですが・・・
(違ってたらゴメンナサイ)
私は、手をほんとに、少し余計に洗い始めるようになった時点の気づきだったのです。
ただ、不潔以外にこの頃、(自分では単なる度のすぎる変な癖だと思ってた)さまざまな症状は出ていましたが、雑誌には、不潔と、確認くらいの記述しかなく、自分では、これらが強迫だとは、全く思っていませんでした。
気づいた頃の不潔恐怖の状態は、ごくごく軽いもので、まったく生活に支障もきたしていなかったので、
前に書いたように、「へぇぇぇ、こんな名前の病気があるんだ。」
と思ったのですが、実は、もう1つ、思った事がありました。
この事は、書こうかどうしようか、すごく悩みましたが、洗いざらい書くと、決心しているので、書きますね。
すごく非難を浴びてしまうかもしれないのですが、この時、自分が
強迫性障害だと知って、
「うれしい」
って思いも、もったんです。後に酷い状態になった時には、
とんでもない事を思ったと、何度も思ったのですが・・・・
どうして、゛うれしい゛と思ったか?
それは、高校生になって、私は、入り浸るという程ではありませんが、
しょっちゅう、保健室に通っていました。そこには、他にも、何人か、進学校になじめず、心の病に陥った子達が、来ていました。
その子達は、実際病院にかかって、学校も、把握してくれていて、
目に見える形で、過呼吸発作起こしたり、なんか、先生達に、ちゃんと理由があっての、利用だと認められていたように思うのです。
今から考えると、家があんな状態で、自分の心は、すごく蝕まれていて、保健室に行っていても、ぜんぜんおかしくないと思うのですが、
その頃の私は、(先生方の雰囲気からも・・・自分自身でも、私は、先生の気を引こうとしているだけなの?)保健室に、
何も問題がない癖に、行っているという後ろめたさを、ずっと持っていたのです。
だから、私も、列記とした病気なんだって、後ろめたさ感じなくていいんじゃないのかな?先生もこれで、保健室通っている理由を認めてくれるでしょ?って、心の中で゜少し思えたからです。
実際には、この状態を以後数年間誰にも言えませんでした。
↑↑だから、うれしい気持ちをもってしまったのです。
こんなに早く分かっていたんだから、この時なんらかの事をしていれば・・・・・と思います。
でも、この気持ちは、後に酷くなった時、こんな事思った罰が当たったんだと、何度も苦しめられる事にもなりました。

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