4年程前の事だったと思います。5年かな?(あやふやです)
ある日何気なく、NHKの教育テレビをつけたとき、強迫性障害の治療の様子を取材したものを放映していました。
偶然だったので、半分くらいしか見れなかったのですが、それを目にした時、私はスゴイ衝撃を受けてしまったのです。
不潔恐怖で悩まれている、男性の方だったと思うのですが、お医者さんとのやり取りの様子というか、(ナレーションが入りながら)少しずつ宿題を出してもらって、洗う量を徐々に減らしていった様子を語られたものでした。
これを見た時私は、
「えっ、嘘ー、えー、こんなちゃんとした方法があるの??、嘘でしょ。」
と言う感じだったのです。
私は、20歳前後の頃は、ここ数日の投稿に書いたように、半ば強制的に、洗う事を禁止されているという感じで、「自分の意志」というものは、あまりここに入っていませんでした。(もちろん洗う量を減らしたい気持ちはずっとあったので、自分なりには努力しようとしてたと思うのですが・・・・)
私が本当に、自分の意志をはっきり持って、洗う事を減らしていこうと思ったのは
結婚前の事でした。(この時点で、いろんなストレスが減った事で、強迫の一番のピークは過ぎ去っていたので、洗う量は自然とかなり減っては、いました)
で、この時行動療法なんか知りもしないし、ただただ我流の方法で、
「私は結婚したいんだ。幸せになりたいんだ」
この気持ちを胸に、自分の取り組みやすいところから、何度も失敗を繰り返し徐々に徐々に洗う量を減らしていったんです。
この時の自分で必死で考え、やっていったやり方が、テレビで放映されていたものと、きわめて酷似したものだったので、
「ちゃんとした方法としてあったんだ」
と知った私のショックは相当のものだったんです。
「嘘ー、お医者さんも、一回目のカウンセラーさんも誰も教えてくれなかったじゃない」
「あちこち行ったのに、どうして誰も教えてくれなかったの?本にだって書いてなかった」
「こんな方法がちゃんとあったなんて、知らなかった。」
「私は何年も何年もかかって、やっとの思いで自分で考えてやったんだよ・・・・」
「何も分からず、何も知らずに過ごした私の長い長い年月は何だったの」
「私には青春がまったくなかったんだよ。私の青春かえして」
↑ 頭の中は、こんな思いが駆け巡りました。
私はこの時半分しか見ることが出来なかったので、分からないのですが、私が見た範囲では「行動療法」という言葉は放映されていませんでした。
後に、本当に私が行動療法という言葉を知ったのは、二回目のカウンセラーさんに出会った後だったと思います。
私はテレビを見た後、1、2週間くらいは、ショックがぬけきらず、悶々と過ごしていました。
でも、今考えると、たぶん私が我流で洗う量を減らしていった時期は、環境、状況、意志、目的というものがちょうどみんな揃った頃だったと思います。
この時期だからこそ、何度失敗しても頑張り続けられたと思うので、その前の長い年月も無駄な事ではなかったのかな?と思っています。
この後、二回目のカウンセラーさんとの出会いがあり、私の生活はめまぐるしく変わっていきました。彼女に出会わなかったら、ずっと自分は駄目と思って、惰性で生き続けていたと思います。出会いは無駄にしないようにしないと・・・ね。
人生、って分からないですよね。何が起こるか分からない。これからも、思いもしない事が起こったりするんだろうな。

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