昨日ネット内をウロウロして、ある方の投稿を読んでいる時、
「あーそうだ。強迫性障害で私も、入院した事あるんだった」
という事を思い出しました。
私が、0CDに完全に支配されるようになったのは、18歳の時でしたが、それ以後3年くらい親に隠しとおしていたので、やっと病院へ行けたのは、二十歳過ぎたあたりでした。
大病院だったので、3分診療・・・・私はしんどいから、色んな今までの話を聴いて欲しいのに、お医者さんは、何の説明もなく処方箋書いてくれるだけの人でした。
もう20年以上も前の事なので、薬だって今のような物がない時代・・・。
薬は全然効果をあらわしませんでした。それどころか、起き上がるのもしんどい、フラフラする。目の前がグルグル回る。気力もなくなる、ひどい便秘、尿も生理もとまる。
そんな状態にどんどん陥っていきました。
大学へ行かなきゃいけないのに・・・単位取りに行かなきゃいけないのに・・・・どうしようって・・・恐ろしくてたまりませんでした。
この時私は気づかなかったんです。思考力もなくなっていると言うことを・・・・だから、この状態が薬の副作用で起こっているという事を、自分で考える思考が、すでにありませんでした。
何回か書きましたが家族はまったく理解を示してくれる人達ではなかったので、
「副作用」
という事を、疑ってくれる人は誰一人としていなかったのです。
診察に訪れた私の様子や、状態を聞いても、お医者さんさえもが
「副作用」
の事を考えては下さいませんでした。
それどころか、
「元気がなくなって、不安になっているみたいだね」
と、同じタイプのよりキツイものにどんどん変わっていったのです。
0.5が 1 になり・・・といった具合に・・・・
どんどん悪くなっていく一方でした。
立ってバランス取るのもしんどい状態の私を見たお医者さんは、ある日
「環境をかえ、病棟のように人と触れ合える場所にくると元気になれるかもしれないよ。」
という事で、入院が決まったのでした。二回生の後期が始まった頃でした。
その時、副作用で子供の絵本の内容も理解できないくらい、思考力が落ちていたのですが、わずかに残っていた、思考力の中で
「入院なんかで、私は、はたして元気になれるだろうか?。。。それどころかかえってしんどいんじゃないの?だって、私は何よりも、人に強迫行為を見られる事が苦痛なんだよ。病院って人の目だらけじゃない・・・・それに不潔だし・・・」
入院するのが不安でしたが、周りの流れに逆らえず入院が決まったのです。
そこで、私は病院生活を少しでも不安のないように過ごせるようにと、副作用で動けない状態だったはずなのに、・・・・どこにそんな気力があったのか、入院の2 、3日前、病院で使ったら便利そうなグッズを、街に買いに走ったのです。何軒も何軒も、何時間も、店を回りました。
病院で、強迫行為するには人目があるので、少しでもその行為をしないですむグッズを街にに探し求めたのです。(入院は、周りの情勢から、避けられないみたいなので少しでも、不安なく病院でやり過ごせるようにと、私その時必死でした)
入院当日、夕飯で、食欲もなかったのですが、ここにいる意味がわからなかったし、早く退院したいので、
「ご飯を全部食べると、元気だと思ってもらえるかもしれない」
と全部食べたのでした。
食後は、入院前以上に 薬の量が増えていました。
私は、
「こんな量・・・」
と不安になりながらも、さからえずに飲むしかありませんでした。
そして、病院内では、辛いことばかりでした。
人目があるので、十分に洗えない。
この時
食べ物=ベトベトする=汚い=手等が汚れる
という図式の不潔恐怖な状態だったので、食後すぐに、人目を避け、歯磨きや、顔や手を、やっとの思いで(長い時間かかるので不信な目でみられないか気にしながら)洗ったのでした。
でも、おなじ部屋の人が、やっと洗い終わってきた私に向って、
「一緒にバナナを食べよう」
とか言ってくるんです。
「今歯磨きして来た所だから・・・」
となんとか断ると、
「また、磨けばいいじゃない・・・」
強迫の方ではないから、洗うという行為に、気軽なんです。
この時
「この場所で、元気になれるどころか、こんなのが毎日続くと地獄だ」
と思いました。
その夜、ベットの上で、まんじりともせず目を開いて考え続けていました。
「何のために 私はここにいるの? なんの治療もないし、意味がないじゃない」
副作用で働かない頭を精一杯使い、考え続けていました。
最初ベッドに座っていたのですが、見回りの看護師さんに怒られたので、仕方なく横になりました。
翌朝、私は外に出るには、恥ずかしいような軽装でしたが、今しかないと、職員に何も告げず、財布だけ手にとると、外に飛び出しました。
「帰るんだ。帰るんだ・・・家に帰るんだ」
って・・・・家に帰ったって親に何を言われるか分からないんです。
全く理解がないんですから・・・・
でも私には他に行く場所がなかった。だから、
ひたすら
「帰るんだ帰るんだ・・」
って つぶやきながら、電車に飛び乗って自宅へ向いました。
そのことで、病院へは行かなくなりました。勝手に飛び出した事で、
医者は、かなり立腹していたみたいです。
でも、結果的にはすごく良かったんです。
病院へ行けなくなることで、薬を飲まなくなり、元の体の状態へ戻れたからです。
副作用で、留年さざるをえなくなりましたが、翌年には、復学して卒業にこぎつける事もできましたしね。
この事で、私の精神科のお医者さんに対する不信感は、相当なものになってしまい、その後一度も医者にもかかってないし、薬も飲んでいません。
私の場合、強迫性障害を治したのは、まずは自力です。
そして後に、カウンセラーさんとの出会いで、最終的な色んな面で変わっていけた所は、ほんと大きいです・・・・
でもね、 副作用と言う事がわからず、どんどん 自分の体が思うように、動かなくなっていく・・・思考力も失われていく・・・という状態は、ほんと恐ろしい事でした。どうしてこうなるのかの、理由が分からないんですから。
強迫性障害の事詳しく書かれた本もなかったし、誰も何も教えてくれなかったので、
「私は、この強迫で、人間が崩壊していってるんだろうか」
そんな得体の知れない不安で、いっぱいでした。
それとね、病院飛び出して、財布だけもって、家に向って走り続ける時の、不安・・・孤独さ・・・・たまらなかったです。
帰ったって
「お帰り、辛かったんだね」
って優しい言葉で、迎えいれてくれる家じゃない事わかって、
「帰るんだ。帰るんだ」
って、ひたすらつぶやきながら、家に向かい走り続けていたんですから。
今となっては、色んな事が経験できて良かったんですけどね。
自分の経験を目の前の人の苦しみにあてはめて、決してカウンセリングしてはいけないけど、(似ていたとしても、みんな違った人達だから)いろんな苦しさに、少しでも近づいていける、助けになっているなって思います。
一日限りの入院生活でした。
すごく長くなりました。ほんとは、もっと色々あったので、気が向けばまた、続き書くかもしれません。

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