お友達のブログを読んでいて、お風呂の話題が出ていたので、私が強迫性障害が
ひどかった頃のお風呂について覚えている事をかいてみたいと思います。
毎日思いつきですみません。書きかけて書いてない話題もあるし・・・・^^;
私は、とにかくその頃お風呂の時間がとても、楽しみでした。
楽しみと言っても、リラックスするという意味ではなく、とにかく汚れを落とす事ができる! そういう意味で心待ちにしている時間でした。
ここで何度か書いている通り、普段の手洗いは、母の監視がひどかったので、自分が納得いくだけの手洗いをなかなか私はする事ができませんでした。
だから、母の目を気にせずに、洗う事ができる瞬間は、夜に唯一一回入る事が出来るお風呂の時間しかなかったのです。
普段汚れたと感じたからといって、お風呂に入るなんて事は許されない環境でしたから・・・・
でも、私は、不潔恐怖がピークの時でお風呂の時間が20分ちょっとでした。
20分少しで出られるなら、不潔恐怖は軽かったんでしょ?
と言われた事があるのですが、決してそうではありませんでした。
30分超えてくると、母に何を言われるかわからなかったので、この時間内に出来る限りの事をして、自分を納得させて出てくるしかなかったのです。
でも、「洗う事ができる 汚染されきったと感じた身体を洗い流せる」
たとえこんな短い時間でも、監視されずに洗えるという事自体が、私にとって、とてもとても貴重な時間でした。
お風呂の中で、手を二回指先まで、(ホントは一本一本丁寧に洗いたい所を)手早く一回か、二回洗うと、私は、体を泡立たせたタオルでゴシゴシゴシって 体を一回さっと洗うと、(時計を見ていないのでわからないのですが)その間、2分くらいなのかな?、それから、さっとだけ湯をかけて、次に髪の毛を洗っていました。これも、普通でも二度洗いしたりするものだと思うのですが、私はこの時1度しか洗っていませんでした。
二度洗っていると、強迫のためどうしても余計な事するため、母の思っている時間内に出てこれなくなるのです。だから一度で我慢するしかなかったのです。
とにかく、1秒の時間も無駄に出来ない感じで必死でした。それでも洗えるということ自体が私には幸せな事でした。
ゆすぎには少し時間がかかりました。 石鹸が落ちていないのでは?という感覚があったため、多く湯で流さないと、石鹸が落ちてないようで落ち着かなかったのです。
で、最後にお風呂の壁や蓋にもお湯をかけなくてはいけませんでした。汚いというより、石鹸の泡が飛んでいて、それが壁に残っているのではないかというのが、ただ不安だったからです。
これだけするのに20分少しの時間でしなければいけないので、手や、髪を洗う時間を
必然的に減らすしかありませんでした。
私が納得するだけ洗う事が出来ていたら、多分、30分以上は、入っていたと思います。手も指先まできっちり洗っていたと思います。でも、それが許されなかったので、許される範囲の時間で洗う事で、出来る限り自分を綺麗にしてあげる事を考えるしかなかったのです。
でもね。不思議なんですよ。毎日そうやっていると、そのくらいの洗い方で、十分綺麗になっていると何故か自分で思えてくるんです・・・・・・
こんな洗い方でも、ものすごい不潔恐怖の人なのに、やっと一日の汚れが落とせたーって、いつもホッとして、満足できていました。
実は、この時の私は、お風呂が、石鹸を使って洗う事が出来る時間だというだけで、とても幸せだったんです。
普段の手洗いでもいっぱい石鹸をつけたかったけど、石鹸つけたらつけたで、石鹸が落ちていないと感じるため、手洗いに時間がかかっていました。だから、母がそばにいる時は、石鹸なしで、サッと洗って生活するしかなかったのです。・・・・だから、石鹸使って堂々と洗えるだけで幸せだったのです。
あっそういえば、当時ふるーいお家に住んでいたので、シャワーがついていなくて、湯を沸かして、洗面器ですくって体を洗い流すしかなかったんですよ。
そういえば、今現在の私は、お風呂の時間は13分です。
なんでそんな細かい事知っているかというと、お風呂の前に洗濯機が置いてあるので、その時計表示を、何気なくお風呂に入る前にみて、出てきた時にも見るため、ちょうどいつも13分きっかりなんですよ。
時間短縮が課題の私は、もっと短くしたいんだけど、これ以上無理みたい。
髪の毛がロングなので、ショートにしたら、短くなるかな・・・・^^;
たまに、髪の毛を洗わない時があるんだけど、その時は、7分くらいみたいです。^^;
追加〜〜〜
大の苦手の哲学のレポート仕上げて今の今提出しました。ホッとすると同時に、みんな感じるみたいだけど、「なんか不備があったのでは?」
と不安になりました。。。。。。 ほんと少し不備があるだけで、容赦なく0点で返してくるんですよ。。。。

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