なんか、生きていると色んな思いもかけない事がおきますよね。
振り返ってみたり、自問自答を繰り返したり、どの人もみんなしてしまうことだと思うけど、この作業は、これですごく大切な事なんだと思います。
ちゃんとした喪失の過程等を踏んでいかないと、やっぱ心は回復していかないものね。
だけど、
゛おこってしまったものは仕方ない゛
のだから、しっかり時間をかけて、悲しんだり、苦しんだあとは、
「これからどうしていこうか」
意識して考える時間を少しずつ作っていった方がいいですよね。
実はプライベートな部分でこれは、私が現在している事だったりもします。
さんざん振り返ったので、将来に繋がる事を考えると、希望も持てるし気持ちが楽なんですよね。とかいいながら、振り返っていますが・・・・・・
「喪失」という単語を使ったのだけど、元厚生事務次官襲撃事件で、犯人の人が、犬を殺された事を話しているというニュースをきいて、
私は、この単語が真っ先に浮かびました。
私は犯人の人を擁護するつもりはないのだけど、
゛その悲しみを一緒に分かち合う人がいなかったのかなぁ。゛
゛悲しみの時、誰もそばにいてくれなかったのかなぁ゛
゛そんな事に、こだわっていないでとか・・・早く忘れなさい・・・・゛
とか
周りの人に言われてきちゃったのかなぁ・・・・とか、色々なこと想像してしまいました。
例えば、誰か身近な人が亡くなったとき、お葬式という儀式で、身近な人と、同じ悲しみの場を過したりで、気持ちの分かち合いが出来たりするんですよね。
その作業ってとても心の整理にとって 大切な作業なんです。
そういうのが 全然なかったのかなぁって・・・・・
人を殺しちゃったらいけないし、私自身
「なんてひどい事をするんだ」
と思って、宅配がこれから怖いとも感じました。だけど
同時に、
「そんな事くらいで・・・・・」
とも 、私には思えなかったのでした。
あー、殺していいっていう意味じゃないですよ。
何十年たっても、喪失感情の処理がちゃんと出来ていないと、心はグチャグチャのままできてしまうという意味です。
喪失感って大きいものなんですよね。大きな喪失感情の経験があったりするので、なんか心から思います。
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そういえば、裁判員制度って始まりますよね。私には向いてないんじゃないかなぁと思うのです。
職業柄色んなこと考えてしまうんです。
決して罪は認めないのだけど、その犯人と向き合った時、私はそれに至った心の過程に目を向けていきたいなぁ って感じてしまうから・・・・。
私は、どちらかというと、罪を重くしていくより、その犯人の人の話に
「罪が悪いとかいう事は、いったん横においておいて」
耳を傾けていくほうが、再犯を防げたり、心からの反省に繋がっていくんじゃないかなぁと 思っています。
耳を傾けてもらえるって どの人にとっても大きな事だと思うのです。
客観的に 量刑なんて 私には出せないと思うなぁ。。。。
強迫性障害克服体験記 書き始めました。読んでください
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