某新聞に
「受験勉強とは何だったか・・・」
そんな アンケート結果が載っていたのですが、
´役に立った´´意味がなかった´´追い込まれて頑張った体験そのものが宝´
感想は さまざまでした。
私は どうかなぁ・・・・ 考えてみたのですが、
この3つから選ぶとすると、どれも当てはまるなぁって感じなのです。が、
大学受験を前に 強迫性障害が本格化し、それ以後坂道を転げ落ちるように悪くなっていった経緯がある私は、
3秒以内に答えなさい・・・みたいに 即答を求められたとしたならば、
「意味がなかった」を選ぶなぁと 思いました。
このアンケートの結論???は、このタイトルに書いた通り
´納得出来れば苦労も「財産」´
でしたが ほんとその通りですね。
私の場合
中学受験では このブログのどこかに書いた気がしますが、勉強に対する情熱も何もなく 選択肢のない状態で最初から決められた 運命 みたいに向かわされた面がありました。
高校受験では、
進学校へ行きさえすれば、素晴らしい人生が待っている。受からない人生なんて考えられない みたいな感じで がむしゃらに頑張る毎日。(皮肉ですが、ある意味充実していたかも(*_*))
大学受験では
強迫性障害の症状も表われていましたし、勉強に 家庭環境の悪さに 頑張りすぎ、すべてに燃え尽きてしまった感じの私でした。
´本来はやりたい事が出来る所ならば どこの大学でもいい´そんな自分なのに、心の前面に表われてくる気持は、 小さい頃から植えつけられた、偏差値の高い所 という価値観に どうしても 打ち勝てず、勉強する意味が見いだせなくなっていました。
やっぱ 納得してないんですね。
選択していく心が全くない
学歴主義 偏差値主義、社会的地位のある仕事主義 みたいな価値観が 私を支配していて、
そこから一歩でも外れると 挫折。すべてが終わり。意味がない。
そんな感じだったんですよね。
この 納得出来れば・・・・ですが、色んな所に通じるものですよね?
強迫性障害だって、 納得のない状態で いくら周りが やいのやいの言っても、何も始まりませんし、
病気になった後の 人生も、その後 どう歩んで行くかは、
その時の 状態をどう納得していくか・・・・が とても大きい事になるかもしれません。
話しは ちょっと変わるけれど、小さい時から、すごくがむしゃらに頑張らなくても、
基礎さえしっかり出来ていれば、
本人が頑張ろう と納得した時点から 頑張っても
私は 全然遅くなく、 ´合格´という二文字も 手に出来ると 思っている人なのですが、
これって間違いかなぁ???? (^−^;;;;;
納得なく(やらされている感じで)勉強していても 効率悪いんですよね^^;;;;
まゆまゆのカウンセリングルーム/相談室
強迫性障害克服体験記 書いています。読んでください
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