これは、自分が過去にいつしか感じるようになっていた思考パターンです
↓
「決して失敗しないように」
「いつも完璧に」
「常に如何なる場所でも一番に」
「誰よりもすぐれて」
そんな育てられ方をしたせいでしょうか。
自分が出来ない時、無理な時、苦手な事、そして人と比較し自分が出来ていないと感じた時 過剰に
「駄目だ」
と思い
´なんとかせねば このままではいけない´´ でもできない・・・無理´ ´どうしたら・・´だけど なんとしてもどうにかせねば´でも不可能・・・。
そんなグルグルの思考パターンに入り始め、エンドレスによく陥っていました。
私が私である限り 努力の及ぶ範囲ではないにも変わらず、なんとか努力をして克服しなければならない、でもどうしたって無理な物は無理。
だけど出来る人がいるのに
「それが出来ない自分、努力しても出来ない、いやその努力さえも出来ない自分は、弱くて駄目な劣った人間なんだ。」
そんな風に考えてしまい、
こうなると心は、絶望感いっぱいで、生きているのが苦しい毎日でした。
・・・・・・・・・・・・・・
だけど いつ頃だったかな?気付き始めた事がありました。
私は私なんですよね。他の人ととなんか同じでなくていい・・。
出来ない事があってもいいし、出来ない事があって当たり前。
苦手な事や、人よりうまくできない事がある方が自然な事・・・。
それを完璧にしようとする方が かえっておかしな話で、
「出来なくていいし、このままでいいんだ。必要ならば 頑張れる範囲で、それなりに頑張ればいい」
あとはケセラセラ・・・。
昔は、完璧にこなしていけば、自信も持て、楽になると信じて疑わなかった自分でしたが、
「出来るようになる事を手放す事(自分のこだわりを手放す事」で かえって楽になれるし、人生が楽しくなる事に気づいていくようになりました。
手放す事は、「出来ない自分を認めてしまう事」
で これは、何より駄目な自分になりさがる恐ろしい事だと感じていたのですが、全然逆の結果がそこに待っていました。
「出来ないもん 仕方ないやん、別に自分の方法でいいんと違うん?」
と思い始め
これはほんと すごく穏やかな世界だったんですよね。
ちょっと上記の話しとはずれるかもしれないのですが、
例えば、私はすごく緊張する人なんですよね、そして大人しい ^。^;
初対面や あまり慣れてない場面では、昔から吐き気に襲われたり、お腹の調子も悪くなりがちで、
そして、言葉もうまくでない人でした。
そうなんですよね。強迫性障害の不潔恐怖だった頃、そこから二次的に私は過敏性腸症候群になってしまったわけですが(今は解消)そのイメージから ちょっと何かの拍子にお腹の具合が悪くなる事、緊張しちゃう事、そのすべてが悪い事と、捉えるようになってしまい、少しの体や心の変化も見逃さず、
「少しの変調は、みんな症状の表れで病気である証拠。」
と考えるようになっていたのです。
大なり小なり 当然あっても不思議ではない、緊張による変化も、一切受け入れられないそんな状態に陥っていた感じでもあります。
「緊張する事=悪い事」
そんな認識でもあった・・・・
だから 緊張をしない自分というか、もっともっとみんなのように?? 緊張しにくくなる自分になる必要があると思い、努力をしようとするのですが、そんな物 私にとっては自然現象の一つで、
思えば思うほど緊張してしまくる結果となり、
「私はやはり駄目」
そこに再び戻っていました。
でも傍と気がついたんですよね。
緊張してしまう自分の方が 私にとっては、私の自然の姿で
「私は緊張する人なの はじめての時は、緊張するんだから 当然お腹の調子だって悪くなるよ」
自分の事をそう受け入れてしまう事や こんな事をなくす事を手放す方がずっとずっと楽な生活が待っていたんですよね。
「こうでなければならない」
「絶対なくてはならない」 そう思っているものは、実はそうではない。これすごく多い事で、
自分の生き方を見直してみるって大切ですよね。
まゆまゆのカウンセリングルーム/相談室
強迫性障害克服体験記 書いています。読んでください
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