私が強迫性障害だなと意識しはじめたのは、18歳になる年で、急激に悪くなったのは19歳になる年でした。 前も書いたけど、他の方と違う点は?、「あれっ?おかしいな」
と思い始めた当初から、私は自分が「強迫神経症」だと知っていた事です。(たまたま、神経症の事が記載されている雑誌が家にあったからです。)
だから、ちゃんとした病名がある症状だと言う事を最初から知っていた分、「どうしてしまったんだろ?」という、わけのわからない不安や、「いったい何だろう?」という不安を私は、持ってなかったと思います。
最近あちこちブログ等回るようになって、みなさんの書いておられる記事読んで、
「あーそうだ、自分も同じ事で悩んでいたし、苦しんでいたなぁ」
と思う事が多いです。
その反面
「私はこんな事では悩んでいなかったなぁ、みんな気になる所は違うんだよな」
と思う事も多いのですが、読んだその瞬間は、「悩んでいなかった」
と思ったけど、それからしばらく過ごしていると、ある時
「ワーーーーー」
って感じで記憶が突然蘇ってきて、
「あーそうだ、私はこの事に関しては、悩んでいなかったと思っていたけど、忘れていただけで、死ぬほど苦しい思いしていたんだった」
と、思い出す事が度々あります。
あれだけ苦しい思いしても、人間って時が過ぎるとどんどん忘れていくし、その事に対する意識もどんどん変わっていくんですよね。
私がほんとに、強迫性障害でどうしようもなかったのは、もう16年くらい前になると思います。
結婚時点では、日常生活は何の支障もなく過ごし、結構普通に?専業主婦していました。(学生の頃は、完全に強迫に私が支配されていましたが、この時点では、私の方が強迫を支配できるようになっていたと思います)
最近思うのですが「治る」とか「元に戻る」
というのはどういう事なんでしょうね。
私は、何も不潔に関する強迫なんて感じていなかった、中学生くらいの私が当時感じていた、「不潔レベルの状態に戻す事」だと、長い事思っていました。
でも、よくよく考えて見ると、大人になった私と、中学生の頃私が感じていた感覚が一緒なわけがないよなぁって思っています。(不潔に限った話ではないと思います)
物の考え方、感じ方、過ごし方は、人間はどんどん変わっていくわけだから、固定したものでは、きっとないですよね。中学生の私にはなり得ないですよね。
私の場合、環境が症状を悪化させた面も、皮肉な事に、悪化を 抑制してくれた面もたぶん両方あるんですよね。強迫行為を繰り返しさせてもらえなかった分、結果的に強化を防いだ面では、環境に感謝しています。
経過過程で、色んな努力をしてきたはずだけど、私の今感じる感覚では、「気がついたら良くなっていた」て感じが強いです。
ただ、これって上記に書いたように、過ぎ去った頃に対する記憶が薄れて、忘れている部分が本当に多いので、「今の感覚として」こう感じるだけなのかもしれません。

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