今日は昨日の続きのような話です。
昨日記事で紹介した本(「ゆ・ら・ぎ 10代が体験した阪神大震災」黒沼克史 集英社)
は、まだ最後まで読みきってなかったのですが、昨日から今日にかけて、読破しました〜。
そこで、また違った感想(思い?)が出てきたので、書いてみたいと思います。
後ろのページの方で、進学校に通う受験真っ只中の高校生の話が出てきたのです。それまでのページの中高生とは、ちょっと一風変わった?印象を受ける内容でした。でも私は、その内容に共感したというか、少し自分を見ている思いになったのです。
詳しい感想を書いちゃうと、「オイオイそんなつもりじゃない」と言われてしまいそうなので^^;やめておきますが、その高校生の子の話を読む事で、自分が過去に感じていた感覚が少し思いだされた感じになったのです。
震災後避難所の映像を見ている時、私の頭に真っ先に浮かんだ事は、私は不潔恐怖の経験者なので、
゛水が使えない゛
という事は、(その時、強迫の方がいらっしゃるとしたら)どれほどの恐怖だろうという事でした。たぶん、多くの人がいらっしゃったと思うのです。
だけどね、↑に書いた本を読んでいて、蘇ってきた感覚なのだけど、もし、これが私の高校生の頃にその映像見ていたとしたら、違った事が真っ先に浮かんだと思うんです。
(あー この先とてもとても 不謹慎な事かきますから、許してください。
_(._.)_)
たぶん、私は
「避難所でみんなと一緒だったら、兄が母に暴力振るわないでいてくれるだろうから、ずっと周りに人がいてくれたらいいのに・・・・」
と思ったような気がするのです。
実際の話なんですけど、自宅が引越しの時、手伝いにきてくれた親戚の人が多数おられたんです。
「その時、ずっとこのままのみんながいてくれる時が継続し続けてくれたら、どんなにいいか・・・・」と強く思った事があるのを覚えているんです。
理由は、大切な母が暴力振るわれずにすむだろうから・・・・・だったのです。
震災からこんな話を書くとは思わなかったなぁ。
ほんと不謹慎なのでごめんなさいね_(._.)_。

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